何故私は彼女を殺し、その肉を食らったのか。

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046| 乃木菜月
 目覚めると、見慣れた暗い部屋にいた。
 明かり取りの小窓から、廊下のライトの光が見えた。
 自分が未だに生きていることに、もはやなにも感じなかった。
 全身がだるかった。部屋の明かりも灯さずに携帯電話の電源を入れ、現在の日時を確認し、自分が丸二日以上眠っていたことを知った。ケータイには大量の留守番電話が入っていた。メッセージはすべて店長からで、「出勤予定なのにまだ来ていないので電話しました」「心配しています。連絡してください」「無断欠勤は二万円の罰金です。罰金は先週の給料から差し引きます」「いつも言っていますが。うちでやっていけないような女はどこに行っても駄目だぞ」、穏やかだったはずの声は徐々に苛立ちを帯びてゆき、やがて罵詈雑言へと変わった。
 廊下で母の声がした。妹の名を呼びながら、夕飯の準備が出来たと告げた。やがて母はなにも言わずに私の部屋の扉を開けた。部屋には鍵がついていない。それは母の方針で、私はそんな過干渉な母のスタンスが嫌いだった。子供に対する幼稚な依存や度を超えた支配欲を教育の名のもとに正当化しているように思ったのだ。
 私の姿を認めた母の顔が引き吊るのが見えた。
「死んだと思っていたわ」
 母は顔をしかめながらそう言い捨て、去っていった。

 怒りも悲しみも落胆も、何ひとつとして感じなかった。
 もはや望みは何もなかった。死にたいとすら思わなかった。何もせずに数日を過ごし、気づいたときには最終回の公開予定日になっていた。私はパソコンを起動して、ブランジァンのサイトに繋いだ。自分の関与した物語の最後を見届けなければならない、と思ったのだ。
 無気力という名の繭の中で、霞のような義務感が芽生えた。
 脳ではなく指が勝手にサイトにアクセスしているような錯覚を覚えながら、私はアップされたばかりのリプレイ小説を読んだ。リアーヌのいないFシナリオの最終回はまるで無菌室で、はびこる空疎な綺麗事に反論する者はいない。物語のラストを飾るのは比佐田キリアのキャラクターの台詞。「仲間を喪って初めてわかったこともあるわ。私はこれからも上を向いて、一歩ずつ歩いていく」。無神経なポジティブさに私はただうんざりする。アウレーリアを喪って初めてわかったこともある、というか初めてわかることばかりだけれど、私は今も上を向いて歩こうとは思えない。悲劇的な仲間の死から二、三ヶ月で立ち直り、気持ちを整理するなんて、比佐田キリアのキャラクターの心は強いのではなく、まして美しいのでもなく、死んでいった仲間に対する思い入れが薄かっただけだ。薄情だからすぐ立ち直る。どうでもいい相手だから、すぐに気持ちの整理がつく。私にはそう思えてならない。
 ユーリアの参加していたシナリオも似たようなもので、彼女の部下が頑張ったけれど、彼女に関する描写はなく、結局最後は人間教の信者の勝利。死者復活のバーゲンセールがハッピーエンドとして描かれて、「生きているって素晴らしい」だとか「かけがえのない命」だとか、そんな綺麗事がラストを飾る。ついていけない。二度と元には戻らないはずのものが元通りになるなんて、それはもはや人命軽視だ。いや、人命なんてどうでもいい。私が許せないのはただ、この一年の私の苦痛、アウレーリアの軌跡という二度と元には戻らないものを失った私の苦痛をこの安直なハッピーエンドが侮辱していることなのだ。
 Bシナリオは担当GMの執筆が遅れているとのことで、最終回の公開は三日後になるとのことだった。やることもなかったので、私は他のシナリオの最終回を流し読みした。どのシナリオも似たようなものだ。綺麗事と安っぽい奇跡の大バーゲンセール。一年前の最終回、NPCに毒を吐かせた星野さんの小説が今となってはどこまでもダークに硬派に感じられた。それがたとえシェラフィータの活躍しているものであっても。
 だから私はBシナリオの内容にまったく期待していなかった。
 遅れて公開されたリプレイ小説の執筆者は乃木菜月になっていて、「急遽代打で執筆しました」とのコメントが添えられていたけれど、それでもやはり私はその内容に期待していなかった。「俺はすべてを受け入れる」などとほざくキャラに対し、NPCである混沌の王が「ならばこの私の所行を受け入れてみろ」と言いながら彼の仲間を殺すシーンに思わず顔がほころんだけれど、でもやっぱり最後は綺麗事で終わるのだろう、そんな風に思っていた。「人々を正しく導きたい」だとか「仲間と助け合うんだ」だとか、お花畑系キャラの気持ち悪い台詞に対して混沌の王が一言、「おまえたちは他人の弱みに付け入り、優越感に浸っているだけだ」、思わずグッジョブと言いたくなったけれど、それでも私は「でもやっぱり、最後はどうせ」と諦めを感じていた。聖女系キャラが「私の大切なものは、手の届く範囲の幸せ。万人を救う必要なんてない。そんなこと出来なくて当然。だからこそ手の届く場所にあるものを精一杯大事にしなきゃ。この世界に生きる誰もが隣人を愛し、隣人に手をさしのべれば、世界はもっと良くなるはずだわ」と言い、彼女と対立関係にあるキャラが「あなたひとりがそう心がけるのは立派なことだわ。でもね、それを他人に求めるのはただの思い上がりよ。あなたのその考え方は、すべての人が心身ともに何不自由なく健康であること、それが前提になっているのだから。隣人を愛し、助ければ世界はもっと良くなるだなんて、中身のない理想論だわ。いくら隣人を愛しても、いくら助けようとしても、空回ってしまう人の方がこの世には圧倒的に多いのよ」と返し、乃木さんってすごい人だな、気持ち悪い綺麗事を真っ正面から論破しているリプレイ小説は初めて見た、いくら実際のセッションで綺麗事に反論してもリプレイ内では省略されて〝みんなに優しい物語〟として無難にまとめられて終わり、それが普通だったのに乃木さんは違うんだ、こんなGMもいるんだ、私は胸を打たれたけれど、でもどうせ最後は同じ、この人もどうせ、そう思ったとき、リリアン・ルーの長い台詞が私の視界を埋め尽くした。
「神との決別? 神からの自立? そんなものが人間の選ぶべき道だと思えるなんて、あなたたちはいったいどれだけ視野狭窄に陥れば気が済むのかしら。『願いが叶わないのは信じる心が足りなかったから。神ではなく自分自身を信じることが出来なかったから』……? なんて狭量な信条なの。信じることすら出来ない者の苦悩を踏みにじっていることに気づかないなんて、傲慢な人たちね。『人間の持つ無限の可能性を信じよう』……? 無限に広がる可能性には、負の可能性だってあるのよ。世界を荒廃させたのは神でも魔物でもなく人間、世界を滅ぼすこともまた人間の持つ可能性なのに、可能性を信じることが素晴らしいことだと思うなんて。あなたたちのような人に、世界の未来は託せない。神は邪悪な支配者じゃない。否定されるべき存在じゃない。自らの行動をもって人に生きる道を示す、それが神のすべきことで、だから人は神を求める。……創造主に見放されたこの世界を消滅させるものか。この世界に生きるものをありのままに受け入れる世界、それを創造するために……、混沌の王よ、いにしえの盟約に則り、私に力を貸せ」
 そうして世界は再生される。すべてをありのままに受け入れる偽りの楽園、あるいは混沌の世界として。奇跡を起こした台詞自体は乃木さんの書いたものだが、リプレイ小説の内容はNPC無双などではなく、実際に神になったのは一般参加者のキャラクター、しかも件の聖女系キャラを論破した少女だった。私は衝撃を受けた。乃木菜月の書いたものは、すべてのGMに喧嘩を売っているも同然だった。『外なる神々の囁き』という作品のテーマを真っ向から否定して、新たな世界を生み出していた。気がつくと涙を流していた。「死んだと思っていたわ」と母親に言われたときにも、リアーヌの登場しないリプレイ小説を読んだときにもまったく流れなかった涙が、止めどなく流れ落ちた。
 乃木さんは戦っている。たったひとりで戦っている。
 私は何をしていたのだろう。いったい何に怯えていたのだろう。
 乃木さんの作品を読んで初めて、私はボイコットを後悔した。リアーヌの、アヌーシュカの、アリスの、ユーリアの、自分自身から生まれたもののいるべき場所を自分自身で勝ち得ようとしなかったことを後悔した。



第一部・完
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