何故私は彼女を殺し、その肉を食らったのか。

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044| 神との決別、という名の宗教
 うんざりした。げんなりした。第九回のリプレイ小説、そこに描かれたリアーヌの大活躍に気力が萎えた。
 なんだこの気持ち悪いノリは。それが率直な感想だった。セッション中にはなかった言動、身に覚えのない動機、知らないキャラクターとの絡み、すべてがその連続で、それはもはやTRPGのリプレイ小説などではなく、リアーヌというキャラを借りたオリジナルライトノベルだった。だから悪い、というわけではない。たとえセッションの内容とかけ離れた作品でも、リアーヌらしさがそこにあれば、私は許容出来ただろう。しかし志水GMの書いたリアーヌは別人だった。「魔剣に封じられた彼のために」などと声高に宣告し、感情的に人を襲い、敵に対して泣き言を漏らし、挙げ句の果てには聖女気取りの十代美少女に説教されて感動(笑)の改心。しかも志水GMの後書きには「次回はいよいよ最終回です。みんなで協力してひとつの物語を作りましょう」。やってられるか、と思った。志水GMの言う〝みんな〟の中に私は含まれていない。彼は皆でと言いながら、その実、私を排除している。何故なら私のこの感情、作中のリアーヌの価値観に違和感を抱いたこの感性、聖女キャラの綺麗事では埋めることの出来ない虚無とそこから生まれるキャラクターは、〝みんな〟で創る志水GMの物語とは相入れない。
 リアーヌに最終回はいらない、と思った。
 あれほど望んだ最終回、私のもっともほしかったものがこんな安っぽい茶番劇で汚されていいのだろうか。そんな最終回ならば、得られない方がマシではないのか。私は疑問に囚われた。気づいたときには己の中で最終回を理想化していた。感性の合うGMと納得のいくロールプレイ、心の底からゲームを楽しみ活躍することによってたどり着くのが最終回だ、アウレーリアの最終回はそうでなければならなかった、アウレーリアが得られなかった輝きに満ちた最終回を私は得なければならない。そんな理想で己を縛った。だからリアーヌに待ち受ける最終回に抵抗を感じた。
 私は結局最後まで『外なる神々の囁き』という作品を楽しめなかった。喪失感に引きずられたこと、星野さんがいなかったこと、もちろんそれもあるけれど、シナリオのテーマや空気が自分の感性に合わなかった。『神との決別』──それがこの作品のテーマで、作中では神と戦うキャラクターを英雄扱いしているのだが、結局彼らがしていることは『神との決別』という名の神を創り出してすがることだ。まったく決別出来ていない。かといって、神とは何か、何故人は神を必要とせずにはいられないのか、それらを論じているわけでもない。『神との決別、神からの自立』という名の教義を振りかざして陶酔する人間教の狂信者が英雄扱いされているだけ。なんという茶番だろう。この浅さ、平べったさが、私には我慢ならないのだ。
 私は公式サイト内のキャラクター掲示板に書き込んだ。
 キャラクターを隠れ蓑に、シナリオに対する毒を吐いた。
 気分が良かった。如月凛が毎月のように書き込む気持ちがわかるな、と思い、いや違う、私が感じているものは如月凛の気持ちではない、私自身の快感だ、私はキャラクターを隠れ蓑に暴言を吐くことに快感を覚える、自分がこういう人間だから如月凛の言動を見て「キャラクターを隠れ蓑に自分のエゴを発散している」と感じたのだ、私には如月凛の内面など知り得ない、私に見えていたものは自分自身の姿だけだ。私は如月凛という人間を模倣したのではない、ただ彼女を口実にエゴを発散しただけだった。
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