何故私は彼女を殺し、その肉を食らったのか。

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039| リプレイ小説より抜粋【6】
 大迷宮の壁から生えた燭台の上で炎が揺れる。
 平均的な大人の背丈の三倍はある高い天井、この世のものではない石を磨いて造った壁のタイル、それらに陰影を添える炎はこの世界の外側の神の領域のことわりにより、この世が終わるそのときまで尽きることなく燃え続ける。
 うつろな地下迷宮に、ふたり分の靴音が漂うようにこだまする。
 名前を抹消された男とその主たるリアーヌが、最深部の<扉>を目指し、おぼろげな闇を無言で歩む。
 世界の外側に通じる<扉>はすでに開いているという。世界を棄てる創造主からこの世界を守るべく、兄妹神との対話を試み、最高位の女司教が禁忌の秘術を用いたのだった。彼女を補佐する者たちもこの、竜の孤島の地下に広がる大迷宮を訪れており、無駄な戦闘を避けるべく魔剣は人に化身していた。戦えばおそらくリアーヌが勝つ。しかし件の女司教とその支援者の知識や力はリアーヌのそれとは大きく異なり、神を殺す、その目的を達成するにおいて利用価値があるはずだ。だから今は生かしておき、神への道を造らせる。それがリアーヌの判断だった。
 見覚えのある人影が、ふたりの行く手に立っている。
 アルテュール。太古の歴史を研究すべく魔剣を求めた少年で、リアーヌと魔剣を巡り会わせた張本人でもあった。周囲に仲間の姿はない。彼はひとりで立っている。魔剣によく似た抜き身の剣をしっかり握りしめながら。
 見覚えのある剣だった。リューネ教会の聖剣だ。古代の英雄アレスティードの意識を宿した聖なる剣で、女神リューネの婿として、いかなる聖職者よりも強い発言力を有していた。
 薄闇の中でも見て取れるほど、アルテュールの顔色は悪かった。頬はやつれ、下瞼には黒いクマ、しかしその双眸は異様なまでにぎらついている。リアーヌはすべてを悟った。リューネ教会の重鎮によってアルテュールは麻薬漬けにされたのだ。聖剣を振るうための人間兵器にするために。理由はおそらく手配書の似顔絵、アルテュールはリアーヌを庇って虚偽の自白をおこなった、手配書の似顔絵がまったく似ていなかったのはアルテュールの証言を参考に描かれたからだろう。しかしリアーヌは元々は女神リューネの神官戦士、教会の内部には彼女の容姿を知る者も少なからず存在する。アルテュールのついた嘘が露見するのも時間の問題。彼は教会の上層部から、凶悪犯リアーヌの逃亡を幇助した罪人と見なされ、聖剣を動かす器としてその生命を使い潰すべく、人格を剥奪されたのだろう。それが彼らの手口であるとリアーヌは知っていた。
 アルテュールと十歩の距離を置き、リアーヌは足を止めた。
 少年はリアーヌではなく封じられた男を睨んだ。
「おまえは私が封じたはず……」
 どいうこと。リアーヌの背筋に戦慄が走る。アルテュールの口調は、以前とはまるで違っていた。どういうこと。何故アルテュールはこの人が魔剣に封じられたことを知っているの。その答えが脳裏の片隅にちらつくのを感じながら、リアーヌは男の声を聞いた。
「アレスティードに洗脳されたか。傀儡ではないと見えるが」
「傀儡……?」
「使い手の意識を完全に乗っ取り、意のままに操るすべのことだ。魔剣と使い手、双方の合意によって成される」
 リアーヌの胸の奥底でどろりとしたものが疼いた。そんな話、一度も聞かせてくれなかった。そんなことが出来るのに、一度も試みようとしなかった。どうして。苛立ちを覚えたがリアーヌはそれを言葉にせず、己自身の感情から離れたことのみを尋ねた。
「魔剣……? でもアルテュールのあの剣は……」
 封じられた男が冷ややかに口元を歪めた。
「聖剣だと言いたいのか。同じものだ。世界を支える柱の欠片に人の存在を封じたもの、それがあの剣の正体だ。中に封じられた者が英雄ならば聖剣と呼ばれ、罪人ならば魔剣と呼ばれる。その程度の違いでしかない」
 どうして英雄アレスティードが剣に封じられたというの。どうして英雄アレスティードがあなたのことを知っているの。声が出ない。リアーヌの脳裏にちらつくものが、確信へと姿を変える。
「アレスティードは野心家だった。世界の外側を目指した男を魔剣に封じ、ありとあらゆる歴史書から男の名前を抹消したが、奴にとってそれは己の野望を成就するための実験でしかなかったのであろう。アレスティードは宿敵を封じた手段をもって、己のすべてを欠片に宿した。永遠の存在として地上に君臨するためにな。……それがあの、聖剣だ」
「ああ、だから……」
 だからあの聖剣は、教会内部ですら化け物なんだ。
 リアーヌは納得した。何故聖剣の使い手が教会にとって不都合な罪人ばかりで、何故彼らは皆一様に麻薬漬けにされるのか、その理由を理解した。
 永遠の存在として教会内部に君臨するかつての英雄はもはや、不死の化け物に成り果てていた。人として生まれながら人にあらざる身となって人の世に君臨する彼の自我はいびつに突き抜け、聖剣の使い手となった者の精神を蝕み食い潰す。ゆえに教会上層部は、リューネ教会の面子を潰した犯罪者を利用する。死罪になるほどではない罪人に麻薬を与え、判断力や理性を奪い、聖剣の意思を行使する人間兵器に仕立て上げる。表舞台では英雄に祭り上げながら、密かに葬り去るために。
 そうして聖剣士になったのが目の前の少年、アルテュールだった。
「剣に戻って」
 リアーヌが命じると、男の姿が無言でかき消え、代わりに黒い大剣が少女の手に収まった。それを合図にするように、少年の足が動いた。
 アルテュールは濁った目でリアーヌに刃を振りおろす。
 リアーヌはそれを横にかわし、少年の背面に反撃を叩き込もうとした。しかしリアーヌの動きは相手にことごとく読まれており、どんな場所を狙ってもすべて受け止め、かわされる。細い腕が疲労で痺れる。アレスティードの剣の腕は魔剣の男とほぼ互角、しかも相手は苦痛や苦悩を感じることなく剣を振るう人間兵器と化しており、体力や筋力が劣っているリアーヌの方が不利だった。
 十人の大人が手を広げても囲みきれない巨大な柱、その陰に身を潜め、リアーヌは呼吸を整える。大粒の汗が上気した肌を伝い落ちてゆくのを感じた。重みを感じさせないはずの剣を振るう腕が重い。
『リアーヌよ。先を急げ』
 囁くように魔剣が命じた。リアーヌは軽く苛立つ。
「駄目よ。相手を殺してからじゃないと……」
『あの小僧は捨ておけ』
「彼の持つ聖剣。いえ、皆が聖剣と呼ぶ魔剣には、あなたを封印したアレスティードの意識が宿っているのよ。一刻も早く聖剣を破壊し、使い手を殺さなければ……」
 怒りにも似た憎しみがリアーヌの胸の奥でくすぶる。
 しばしの沈黙のあと、魔剣がリアーヌに問うた。
『リアーヌ。私と出会ったことを悔いているのか』
「いえ。いいえ。どうして私がそんな風に思わなければならないの」
『ならば捨ておけばよかろう。奴が私を封じなければ貴様と出会うこともなかった』
 その声はどこか優しげで、リアーヌの胸の奥は締め付けられるように痛んだ。
 出会ったばかりの頃、彼の言葉には怒りがあった。神を殺して成り代われ、その言葉にもやはり、己自身の復讐にリアーヌを利用するような節があった。なのに何故、今になって急にこんなことを言うのだろう。彼は私と出会ったことを喜んでくれているのだろうか。彼にとって私との邂逅は、己を損ねたアレスティードの所行を許せるほどのものなのだろうか。いいえ、きっとそうではない。そうではないとしか思えないこと、嬉しいと思えないことが、何よりも寂しかった。
「あなたはこの魔剣の中で、気の遠くなるような時間を無為に過ごしたのに……」
『私はすでに死んでいる。死者にとって時は無意味だ』
「でも……」
『私の目的は復讐ではない。いや、かつてはそうだった。アレスティードとこの世のすべてに復讐したいと願っていた。しかし今となってはもう、そのようなものに興味はない。世界の外側にたどり着けさえすれば、もはやこの世に未練はない』
「私は……」
 リアーヌの視界が涙で滲む。
 アルテュールの足音が柱の裏側で鳴った。リアーヌは立ち上がり、魔剣の柄を握り直す。切っ先が床に当たった。金属と石がぶつかるような寒々しい音がうつろに響いた。「隠れても無駄だ」。アルテュールの足音がこちらに近づくのがわかる。磨き上げられた石の床には、靴音がよく響く。リアーヌは靴を脱ぎ捨てながら、魔剣に封じられた男に言った。
「あなたを損ねた者を見逃すことなんて出来ないわ」
 素足になったリアーヌは、足早に柱を一巡し、アルテュールの背に斬りかかる。気配を察して振り返るアルテュールだが、遅かった、振り向きざまに斬りつけようとしたことが裏目に出て、剣を握る利き腕に魔剣の刃が叩き込まれた。刃は鎧に阻まれて、切断には至らなかったが、骨は折れたかひび割れたか。どちらにせよ、痛みで剣は振るえまい。リアーヌはそう判断し、とどめを刺すべく一歩踏み込む。
 しかし彼女は忘れていた。
 薬漬けになったアルテュールは、痛みも恐怖も感じない。
 剣を振るうことはおろか握ることすら出来ないはずのアルテュールの腕が動く。聖なる魔王を封じた刃がリアーヌの胸を貫く。判断を誤った。己の死を意識しながら、リアーヌは心の奥で魔剣の男に呼びかけた。
(お願い。私を魔剣の傀儡にして)
 返事はない。声を出そうとしてみても、血の塊が溢れるのみ。
(私の意識を消してしまえば、痛みも疲労も感じなくなる。相手と同じ条件で私の体を動かせる。だから……)
 返事はない。リアーヌの脳裏に男の姿がよみがえる。
(私は駄目ね。あなたにとって私はただの便利な道具に過ぎないのに……、そんなことは最初からわかっていたはずなのに、私はあなたに惹かれてしまった。そして冷静な判断が出来なくなって……。だけど死ぬわけにはいかない。あなたとの約束を果たさなければいけない。私はあなたを世界の外側に連れていかなければならない。だからお願い、私を魔剣の傀儡にして。そうすればあなたは世界の外側に……)
『……貴様は自分の言っていることの意味を理解しているのか』
 押し殺した声が聞こえた。彼女が求めたその声は耳から聞こえてくるのではなく、脳裏に直接響きわたった。
『ひとたび魔剣の傀儡になれば、二度と戻ることは出来ぬ。人格も思考も自由意思も完全に失われ、もしも魔剣を手放せば廃人としてその生涯を終える。魔剣の傀儡になった瞬間、貴様は人としての死を迎えるのだぞ』
 それでいい。リアーヌは安堵を覚え、己の口元が緩むのを感じた。魔剣の傀儡にならなくても死ぬ、どうせ死ぬならあなたを世界の外側に連れていけるほうがいい、あなたを損ねた者ではなくあなたに殺されるほうがいい。だから私が死ぬ前に魔剣の傀儡にしてほしい。そして目の前の敵を殺し、アルテュールの生命力でこの致命傷を癒し、空っぽの器を使って世界の外側を目指してほしい。
『リアーヌ』
 主の名を呼ぶ男の声は明らかに怒気をはらんでいた。
 しかしリアーヌは怯まない。
(心があるから判断を誤る。私に心なんていらない)
 男は何も答えなかった。まるで絶句しているかのようだ。
 己の中の空洞に向かって祈るようにリアーヌは願う。
(私には利用価値があると、あなたはそう思ったのでしょう? 世界の外側に行くために利用出来そうだ、と……。だったら最後まで私を利用してほしい。世界の外側に行くために、私という器を使ってほしい)
『……承知した。世界の外側に行くために最良の選択をしよう』
 リアーヌの脳裏に男の記憶が流れ込む。
『リアーヌ、私は……』
 男が何か言っている。決意に満ちた静かな声。彼の言葉を最後まで聞かなければならないとリアーヌは思った。しかし続きは聞き取れない。脳裏に流れる情報の濁流に押し流され、男の声は、その言葉はかき消されて見えなくなる。
 リアーヌが我に返ったとき、決着はすでについていた。剣に操られるだけの自我を持たないアルテュールと、ふたり分の人生を脳裏に宿したリアーヌでは、たとえ瀕死の重傷を負ってもリアーヌのほうが強かった。勝者は自我を有したまま、無傷でそこに立っていた。ただ、魔剣が重かった。魔剣本来の重量が、使い手の腕に負担を強いる。これまで中にあったもの、リアーヌを主と定め剣の重みを肩代わりした人にあらざる存在が、魔剣の中から消えていた。
「どうして……」
 問いに答える者はいない。
「どうしてこんな……」
 空洞になった魔剣。その重みは、魔剣に封じられた男が世界の外側に行くために切り捨てるべきものがあるとするならそれはリアーヌの心ではなく、己の存在そのものであると判断したことを意味していた。

(『外なる神々の囁き』第八回リプレイ小説F-1b『棄てるべきもの』より抜粋)
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