何故私は彼女を殺し、その肉を食らったのか。

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037| リプレイ小説より抜粋【5】
 リリアン・ルーは天を仰いだ。頭上を覆う黒い枝の合間に青い空と、そして空に開いた黒い穴がカーテンのように揺れている。
 天に現れた空洞は、虹やオーロラと同じく実体を持たない現象であり、しかしそこから現れる外なる世界の軍勢はこの世界に生きるものを傷つけ死に至らしめる。彼らは女神アーウィナの産み出した異形の戦士だった。大地母神レーナとして世界を創ったアーウィナは、この世に生きる生命をただ殺すためだけに新たな種族を創り出した。原初の母たる創造主だからこそ、あらゆる種の特性と欠点を知り尽くしている。いったい何が有害で、何を不快に感じるのかをすべて把握しているからこそ、そこに存在するだけであらゆる生物の足を止め、知能を有するものならば狂乱状態に陥るようなおぞましい姿の天敵を生み出すことが出来たのだった。
(急がなきゃ。アーウィナが降臨すれば、この世界は……)
 リリアンは汗を拭い、再び枯れ枝を踏みしめる。
「おい、リリアン。なんでひとりで行くんだ」
 背後で男の声がした。聞き覚えのある声だった。リリアンは無言で振り返る。がさつそうな若い男が幹に片手をつきながら息を切らせて立っていた。彼の名はセヴラン。路地裏で倒れていたリリアンを発見し、介抱したのは二ヶ月前。少女の傷が癒えたあともその傍らに留まっていた。
 リリアンはどこか苛ついたような顔でセヴランを一瞥した。
「ついてこないで。これは私の問題だから」
「リリアン。おまえ、あんな大怪我をしたってのに……」
「もう治ったわ。見てのとおり」
「治ったって、おまえ……」
 セヴランは何かを言おうとして、躊躇するように口ごもった。
 リリアンにはセヴランの言いたいことが何となくわかる。
 普通じゃない、ということはリリアン自身も自覚していた。
 しかしそれをセヴランに理解させるつもりはなかった。
 リリアンは微笑みながら遮るように呟いた。
「でも、もう治ったの……」
 リリアンが歩き出そうとしたとき、遠くで少女の悲鳴があがった。それはリリアンの行く手とは別の方向から聞こえた。リリアンは助けを求めるようにセヴランの顔を見たが、そんな迷いも一瞬のこと、「助けなきゃ。ついて来て」、半ば命じるようにセヴランに言いながら、声のしたほうへと駆け出した。
 だからセヴランは言えなかった。
 治ったって、おまえ……、俺がおまえを見つけたとき、おまえは死んでいたんだぞ。高いところから転落して、首を折って死んでいた。なのに翌朝になると、何事もなかったかのように健康体で動き回り……、治ればいいって問題じゃない。おまえはいったい何者なんだ?

 ──時は遡る。
 森の奥の湖のほとりで少女がひとり、祈っている。
 彼女、シスター・ジゼットは母の顔を知らずに育った。
 自分をこの世に産み落とした者、周囲の誰もが必要とし、しかし自分にはその大切さもありがたみも何ひとつとしてわからない母とはいったい何なのか、彼女は知りたいと思っていた。
 しかし世界の滅びに瀕して彼女は不意に理解した。
 女神アーウィナこそが母だ。この世界を創造し、しかしそれを後悔し、己の生み出したものを愛することが出来ずに苦しむアーウィナこそが母なのだ。彼女を救わなければならない、ジゼットはそう強く思った。この世界はこんなにも素晴らしいもので満ちているのに、何故それを生み出した者が世界を憎まなければならないのだろう。神に仕える者として、彼女を蝕む苦しみを取り除かねばならないと思った。
 鏡のような湖のほとりにひとりひざまずき、ジゼットは女神に祈る。
「女神アーウィナ。いいえ、お母さん。私はあなたに感謝しています。この世界を創ってくれたこと。私を生んでくれたこと。生きる喜びや悲しみを私に教えてくれたこと。私はこの世界が好き。この世界に生きるあらゆる存在が好き。私はこの世界のすべてとお母さんを愛しています。だからどうかお母さんも愛を取り戻してください」
「……気持ち悪い」
 背後で誰かが呟いた。息がかかるほどの距離で若い女の声がした。そこに人がいることに今まで気づかなかったのは祈りに没頭していたためか、それとも相手が手練なのか。
 振り向くと、丈の短い扇情的なドレスを纏った少女がいた。
 ジゼットは彼女を知っている。ジゼットの修道院の手伝いをしている踊り子で、名前をアヌーシュカといった。ジゼットよりもふたつ上だが、むき出しになったその手足はシスターよりも細かった。
「アヌーシュカ……、どうしてここに?」
「おまえの祈りはまるで、虐待された子供の命乞いね」
 アヌーシュカの冷たい態度にジゼットは戸惑った。
 彼女の声には抑揚がない、それはいつものことだけど、こんなことを言い出すなんてこれまで一度もなかったはずだ。いったい何が起きているの? 世界の異変と関係があるの? 神に仕える孤独な少女はかじかんだ指を胸元でぐっと握りしめる。
 そんなジゼットを抱きしめるようにアヌーシュカが両手を伸ばす。
「子供はいつも無力だから、そうやって自分を欺くの。本当は怯えているのに愛しているような顔をして、相手を懐柔しようとする。そうしなければ生きられないから、綺麗事を吐きながら生きるために自分を欺く。生きることって、とても醜い。すべての命がなくなれば世界はとても綺麗になるわ」
「そんなことないわ。醜いものの存在しない世界に美しさなんてあるのかしら。世界に誰もいなくなれば、誰が美しさを感じ取るの?」
「生きることはとても醜い、そのこと自体は認めるのね」
 言いながら、アヌーシュカはジゼットを抱きしめる。
 抱きしめながらアヌーシュカはジゼットの動きを封じる。
 凍てついた空気の上を漂うジゼットの声は、晴れやかでありながらどこか寂しげだった。
「はい。醜さも含めて、私はこの世界が好きだから」
「寛大な自分に酔っているところ、悪いのだけど……」
 言葉に反してその声色には、罪悪感など見受けられない。
「……シスター・ジゼット。あなたのその価値観、それはただの悪趣味よ。殺人享楽者や死体愛好者と同種の悪趣味に過ぎないわ」
「アヌーシュカって、変わった考え方をするのね」
 神に仕える少女の声には、怒りも悲しみも哀れみもなかった。善意や悪意を超越した無邪気な好奇心だけが、子供のように残酷にアヌーシュカに忍び寄る。ジゼットの表情は、アヌーシュカには確認出来ない。日だまりのような言葉と声が、泥水のように流れ込む。
「だけどアヌーシュカ。そんな風にばかり考えいたら、生きるのが楽しくなくなるわ。楽しいことがたくさんあった方がいいに決まってるのに」
 アヌーシュカは何も言わなかった。
 楽しいと感じることにいったい何の意味があるのか。楽しいと感じることにいったい何の意味があるのかと誰かに問いかけることにいったい何の意味があるのか。かつては自分も楽しさを感じることが出来た気がする。しかしそれが出来なくなった今、その意味を問うたところで、いかなる答えも価値を持たない、だから何も言わなかった。
 耳に流れ込むジゼットの声は弾むように明るかった。
「ねえ、教えて。アヌーシュカ、あなたはいったいどこから来たの? これまでどんなものを見て、どんなことをしながら生きてきたの? 私、あなたとお友達になりたい……」
 アヌーシュカは何も答えず、ただジゼットを抱きしめた。
 友達志願者を抱きしめる手が、陽光を受けてきらりと光った。
 それは短刀の刃だった。「楽しいことはみんなで分けあったほうがもっと楽しくなるから。だから私、アヌーシュカとお友達になりたいの」、そう呟く口のすぐ横、ジゼットの顔と首の付け根にアヌーシュカは刃を差し込んだ。自分が何をされたのか、ジゼットは理解していない。アヌーシュカは短刀を引き抜き、飛び退くようにジゼットから離れた。傷つけられた頸動脈から鮮血が噴き出すが、返り血を浴びることなくアヌーシュカはジゼットを見下ろす。
「さよなら、シスター・ジゼット」
 アヌーシュカが言い終わる前にジゼットは意識を失った。
 事切れたジゼットの手首をアヌーシュカは切り落とし、そこにはまったいにしえの腕輪を手首もろとも持ち帰る。ジゼットの持つ腕輪を欲する己の主に捧げるために。退廃的な美貌で知られる踊り子のアヌーシュカは、混沌の王ソルティレージュに仕える暗殺者だったのである。
 ジゼットの死体を発見したのは、彼女の修道院を手伝うメルシエ家の兄妹で、妹マノンの悲鳴を聞いて兄のユーグが駆けつけた。
 震える妹の傍らで、ユーグは死体を検分する。
「ちょっと、お兄ちゃん。服なんて脱がせたら……」
「非礼を働くわけじゃない。これは大切なことなんだ」
 ジゼットの体を調べたユーグは、彼女が抵抗しなかったこと、たったひとつの刺し傷が致命傷になったこと、そしておそらく手首は死後に切断されたであろうことを、わずかな時間で見抜いていた。
 ユーグは黙考する。抵抗しなかったのは何故か。魔術で心を奪われた? 筋肉の奥の頸動脈を一突きで正確に切れる者が、わざわざ魔法を使ってまでして非力な少女の抵抗を封じるものなのだろうか? 魔術の類いは使っていない、と考えるのが妥当だろう。犯人はジゼットが油断するような間柄の人物だった。そして死後に切られた手首。そこにはまっていた腕輪こそが殺人者の目的で、腕輪の存在とその秘密を知る者の仕業といえるだろう。これらの条件を満たすのは、ほんの数人しかいない。
(やはりアヌーシュカか……)
 ユーグはすでに知っている。アヌーシュカが裏社会の人間と接していることを。彼女がただの踊り子ではなく、非合法行為に手を染めていることを。しかしユーグの妹マノンはアヌーシュカを好いている。アヌーシュカに対する嫌疑を妹に聞かせるなど、ユーグには出来なかった。
「マノン。おまえは修道院に戻って大人たちにこのことを伝えろ」
「うん……、あ、でもお兄ちゃんは……?」
「俺は犯人を捜す。そう遠くまでは行っていないだろうから」
「お兄ちゃん、ひとりで行くの?」
 マノンは不安げに兄を見上げる。
「ああ。ひとりのほうが動きやすいからな」
 妹と目を合わせずにユーグがそう言ったとき、彼の背後で枯れ葉が鳴った。誰だ。振り向いたユーグの目に、見覚えのある男が映る。大剣を携えた戦士のヴァルラアーム。裏社会に出入りするアヌーシュカと一緒にいた、派手な身なりの男だった。
「残念だが、おまえらはここで死ぬ」
 ヴァルラアームは抜き身の大剣を構えながら不敵に笑った。
 弓矢と短剣を得意とする猟師のメルシエ兄妹にとって、彼は不利な相手だった。ふたりを天に迎え入れる準備が整ったと言わんばかりに上空で羽音が響き、白い羽毛が舞い落ちた。
 妹マノンを庇うように、ユーグが彼女の前に立つ。
 彼は短剣を構えるが、得物の長さがまるで違う、しかも相手に隙はなく圧倒的に不利だった。逃げろ、と手ぶりで妹に言うが、マノンはまったく動かない。兄をひとり死地に向かわせ逃げ出すことなどマノンには出来ない。
 雑草をなぎ払うように、ヴァルラアームが大剣を振るう。
 そのとき一陣の風が吹き抜け、何かが彼らを遮った。
「争いは駄目!」
 彼らの間に割り込んだのは槍を構えた翼人の少女、アリス・ウォーターリリーだった。ヴァルラアームは彼女の蹴りを食らってうずくまっていた。対峙していた三人をアリスは睨み、槍をかざす。
「困ったことが起きたからって、暴力に訴えるのは良くないわ。誠意をもって話し合えばきっとわかりあえるのに、力で解決するなんて……、争いを生み出す者はこの私が許さない。私は平和主義者なの。尊い平和を乱す奴らは私が根絶やしにしてやる! 私の可愛い平和ちゃんを傷つける奴らは死ね、死ね、死ねえええええええッ!」
 麻薬をキメてラリったアリスは奇声を発し、槍を振り回す。
 彼女にとってはすべてが敵、ヴァルラアームだけでなくユーグやマノンも例外なく〝平和を乱す者〟だった。世界の平和を守るため、その目に映るすべてに対してアリスは槍を振り回す。
 しかし動きに無駄が多い。麻薬のもたらす勢いにすべてを委ねた槍さばきは子供の扱う火薬のように破壊力が強く、的外れ。ユーグに向かって槍を突き出すアリスの左足首を、ヴァルラアームは片手で掴んだ。
「この、ヤク中のクソ女が……」
「何するの! 放して! 放せってば!」
 自由の利く右足で、アリスは相手の頭を蹴る。ヴァルラアームの硬い指はアリスのブーツに食い込んだまま、微動だにしなかった。
「放せ。放せって言ってるでしょ! 私は真摯に頼んでいるのに私の言葉に耳を傾けようとしないなんて、これだから暴力狂は嫌、嫌、大ッ嫌い! おまえのような奴がいるから世界の平和が乱れるんだわ、可愛い可愛い平和ちゃんを傷つける奴は死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね殺してやる、殺してやる、殺してやるからその手を離せ! きいいいいいいいいぃッ!」
 アリスは奇声を上げながら、ブーツの踵で男の頭を何度も何度も打ち据える。しかし手応えがまるでない。掴んだ足をヴァルラアームが右に左に揺さぶるため、アリスはうまくバランスを取れず、がむしゃらに足を動かすだけで精一杯という状態だった。狙いを定めることが出来ない。アリスの踵はヴァルラアームの頭の上を滑るのみ。
 ユーグはマノンの手を握り、一目散に逃げ出した。
「逃がすか!」
 ヴァルラアームが追おうとするが、暴れるアリスが邪魔をして思うように動けない。もしも彼女の足を放せば、また襲撃されるだろう。ヴァルラアームは剣を手放し、アリスの細い足首を二本の剛腕で掴むと、まるで物を扱うようにそのまま地面に叩きつけた。アリスは声も上げられない。上半身の背面をしたたかに打ち、脳震盪を起こしてしまう。
 ヴァルラアームは少女を手放し、再び大剣を取った。
 仰向けに倒れたアリスに鋼の刃を振り下ろす。「やめて!」と誰かが叫び、小さな体がヴァルラアームに当たった。乱入したのはリリアン・ルー。ジゼットの死にマノンが上げた悲鳴を聞いたリリアンが、ようやく到着したのだった。
「その子を殺さないで」
 有無を言わせぬ強い口調でリリアンが大男に言う。
 ヴァルラアームは何も言わず、皮肉げな笑みを浮かべて乱入者を一瞥すると、逃げたメルシエ兄妹を追いかけるべく森に向かった。
「リリアン、こいつは……」
 アリスを見るセヴランの声には非難と疑問が浮かんでいた。
 リリアンは押し殺した声で答える。
「アリスは人間だから。人間社会の法で裁かれるべきだわ。冒険者風情が勝手な正義感で殺していい相手じゃない」
 でもなぁ、と言いたげなセヴランをリリアンは黙殺した。
 その隙にアリスは天高く舞い上がり、湖を離脱する。
「ねぇ、聞いた? お星様。私は人間なんだって。おかしいわよね、私は翼人、神に仕える存在なのに。人間を導く存在なのに。翼人を人間扱いするなんて、まるで神様か魔物みたいね」

(『外なる神々の囁き』第八回リプレイ小説B-1『母という名の幻想』より抜粋)
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