何故私は彼女を殺し、その肉を食らったのか。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

030| リプレイ小説より抜粋【4】
 世界を統べる兄妹神が世界の滅びを宣告した──その真偽を確かめるべく、リアーヌは女神リューネを奉ずる大聖堂に赴いた。しかし彼女が着いたときには、大聖堂は破壊と略奪の限りをつくされたあとだった。性別すらも定かでない真新しい屍が、瓦礫と化した礼拝所のそこかしこに散らばっていた。
 威厳を失った空洞に、リアーヌの靴音が響きわたる。
 彼女の手には、抜き身の魔剣。大聖堂の入り口付近で異変を察した黒き魔剣は、街中であるにも拘わらず、人化を解いていたのだった。
 瓦礫を踏みしめる音が聞こえた。音のほうを振り向くと、礼拝所の入り口に男が立っているのが見えた。武装してはいるのもの、武器も防具も簡素なもので、その構え方からも素人だろうと察しがついた。
 しかし武具や衣服には、血らしき汚れがついている。
 男はリアーヌの姿を認め、汚れた顔を輝かせた。
 その笑顔はどこか計算高く、下卑たものを感じさせる。
「お嬢ちゃん、神様に何か用でもあるのか」
「ある、と言えば代わりにあなたが聞いてくれるの」
「この世を見捨てた兄妹神なんかより、俺のほうが役に立つぜ」
 男はリアーヌを見据えたまま、口元だけを大きく歪めた。
 その背後にひとり、ふたりと仲間らしき人影が見える。
「どうせ滅ぶ世界だ、死ぬまで楽しもうぜ」
 リアーヌは横目で周囲を窺う。礼拝堂の窓は高く、彼らの塞ぐ入り口を通らなければ外に出られそうにない。リアーヌは魔剣を背後に投げ、腰に下げた長剣を抜いた。魔剣が床に落ちることはなく、まるで直立するように宙で静止しているが、主がそれを見ることはなかった。リアーヌは両手で柄を握る。男の表情が凍り付く。口元はへらへらと笑ったまま、目だけが恐怖に見開かれる。リアーヌは助走で勢いをつけ、男の腹を突き刺した。ブーツの踵で股間を蹴りつけ、引き抜いた刀身を倒れた胴に突き立てる。入り口付近に目をやると、倒れた男の仲間ふたりは武器を両手で握ったまま呆然と立ちつくしていた。やはり世界滅亡の恐怖から暴徒化しただけの素人か。そう思い、ふたりを一気に駆除すべく剣を握り直したとき、リアーヌの背後で奇声が上がった。
(しまった……)
 彼らにはまだ仲間がいた。礼拝堂に潜伏し、瓦礫の陰に隠れていた。悲鳴のような雄叫びを幾度となく上げながら、潜伏者はがむしゃらに短剣を振り回す。リアーヌの背がちくりと痛んだ。足下に滴る血が見えて、しまった、刺された、そう思った途端、背中の痛みが激痛に変わった。
(こんなところで私は……)
 最悪の予感が意識に迫る。
 負けるものか。私は世界の外側に行かなければならない。
 でも、何故。死神が問いかける。そんなことをして何になる。それは──魔剣に封じられた男の姿がリアーヌの脳裏をよぎった。邪魔をするな。振り返りながらリアーヌは襲撃者の横腹に鋼の刃を叩き込んだ。ふらつく男の太腿に切っ先を突き立て、動きを封じる。しかしそのとき残りのふたりはすでに我に返っていた。振り下ろされた鉄の凶器がリアーヌの肩を砕く。崩れ落ちるリアーヌの金髪を、血に汚れた手が掴んだ。
「このクソ女が! ナメやがって!」
 鋭い蹴りがリアーヌの腹や顔に何度も入る。
 魔剣を手放すんじゃなかった。リアーヌは後悔した。
 手段なんて選ぶんじゃなかった。どうしてこんな馬鹿なことを。
 私には、魔剣が──魔剣に封じられた男を想う──必要なのに。そう強く思ったとき、黒い柄がリアーヌの空の右手に飛び込んだ。古代の剣技のわざのすべてがリアーヌ自身の記憶として、経験として脳裏に宿る。己をいたぶる男の動きがまるで子供のように見えた。隙だらけだ。無駄だらけだ。リアーヌは右腕を動かし、重みを感じさせない刃で男の尻を下から割った。絶叫が降り注ぐ。途端に体から痛みが消えた。リアーヌの傷が塞がり、欠けた骨が再生した。それは魔剣の与える恩恵、エナジードレインの秘術だった。魔剣は己の糧となった犠牲者の生命力を主たる所有者に注ぎ込む。たとえ満身創痍となっても人をひとり殺害すれば、リアーヌの怪我はたちどころに癒える。リアーヌが死ぬことはない。魔剣が共にある限り。
 四人を殺したリアーヌは襤褸布で返り血を拭った。
 しかしこびりついた血糊はそう簡単には落ちそうにない。
 魔剣は人の姿になった。リアーヌは男の顔を見て、ばつが悪そうに視線を落とし、肌に浴びた返り血を削るように襤褸布でこする。男は押し殺した声でリアーヌに問うた。
「何故、魔剣を手放した」
「ゲスを斬ったら汚れるもの」
「そのような幻想に固執して判断を誤るとは、貴様らしくもない」
 そうね、と呟きながらリアーヌは緩やかに笑った。
 男の声が心なしか穏やかになったような気がした。
「道具に善悪はない。それを決めるのは人の主観のみだ。道具である剣にとって、犠牲者の人格やその内心に意味などない」
 襤褸布を握った手を止めて、リアーヌは男を見上げた。
「あなたは道具じゃないわ」
「いや」
 男は何かを言いかけて口を噤み、話題を変えた。
「何故、剣の中に人間を封じることが出来たと思う」
「わからないわ」
「この魔剣は、世界を支える柱の欠片だ」
「どういうこと?」
「かつてこの世界を支える柱の一本が砕けた。柱は神の一部であり、それ自体が小さき世界となっている。故にそこには人が入る。その出入り口を閉ざしてしまえば、人を封じることも出来る」
「聞いたことのない話だわ……」
「歴史書から抹消されたのであろう。或いは書き換えられたか」
 男は皮肉げに言った。
「兄妹神がこの世の滅びを決定したようだな」
「そうね。ずいぶんと卑小な神だわ」
 リアーヌの言葉に男の顔が嬉しげにほころんだ。
「神を神たらしめるのは世界であり、己の世界が消滅すれば神はその力を失う」
「神は世界を滅ぼすことで、自らを滅ぼすというの?」
「いや、実際には外なる神々のしもべとなり、新たな世界を創るだろう。滅ぶはこの世界のみ。滅亡は神々の領域に立つ無数の支柱の崩壊から始まる。柱がひとつ砕けるごとに神々はその力を失い、砕けた柱の欠片には神を殺す力が宿る」
「つまり、魔剣には……」
 それ以上は言えなかった。信仰を捨てた身とはいえ、続きを口にすることはリアーヌにははばかられた。魔剣の化身が冷たく笑う。
「そういうことだ。……リアーヌよ、太陽神イリスと月の女神リューネを殺し、貴様が神に成り代われ」

(『外なる神々の囁き』第六回リプレイ小説F-1b『Kill the God』より抜粋)
スポンサーサイト

031| それはすでに潰えた夢
 自分の創ったキャラクターが、多人数の共有する架空世界の神になる。私は激しい苦痛を覚えた。リアーヌには神への道が用意されているのだと、志水GMはセッション時に語った。今更になってそんなこと。それが正直な気持ちだった。違うキャラで、違う動機で、一年前に辿った道をもう一度なぞれと言うの。リアーヌの活躍と成功が用意されているというのに、私のテンションはどこまでも落ちる。
 神になる。それはアウレーリアの野望だった。
 今作の舞台は、前作の百年後の世界。リアーヌと魔剣の男のやりとりを思い出すたび、百年前にこの世界で同じことをしようとして誰にも顧みられることなく消えていった少女がいる、私はそれを知っているのに何も知らないフリをして同じ道をなぞらなければならない、そんなことを思いながら喪失感に圧倒される。

 森山の発言は、下品になっていく一方だった。
「志水GM、リアーヌを女神扱いか。アネモネさんの術中に完全にハマってるな。リアーヌでオナニーしまくってるんだろうなぁ、しゅぽしゅぽしゅぽしゅぽ……」
「はぁ……」
「高梨クンもオナニーしてますよ」
 高梨、というのは星野さんの本名だった。
 前作の打ち上げイベントのときに星野さんの着ていた背広の内側に刺繍されていたと、たまたま目にした森山が私にそう教えてくれた。
 森山は星野さんのことを高梨クン、と呼ぶようになった。
 それが決して親しみゆえの呼び方でないことは、彼の口調と声色から容易に察することが出来た。
「高梨クン、オナニーやめられないんじゃないですかね。アネモネさんのブログを見ながらアウレーリアでしゅぽしゅぽしゅぽしゅぽ……」
 森山は楽しげだった。というか何なんだその独自性溢れる間抜けな擬音は。おまえはオナニーするときにそういう音を出してるのか。私は声に出さずに突っ込む。しかしツッコミを入れた途端、森山の発言に妙な生々しさを感じてしまい、私は思わずドン引きした。風俗店に勤務しているからといって、客でもない男性の性欲処理はしたくない。むしろ風俗店勤務だからこそ、性欲処理には対価を貰う、そんなプライドが根付いていた。
 それでも森山と話すのは、星野さんの話題が出てくるからだ。
 私は比佐田キリアのチャットに顔を出さなくなっていた。共有出来るものはなく、彼の発言ひとつひとつに釈然としないものを感じる。他の参加者も今のゲームを純粋に楽しんでいる人ばかりで、彼らの前向きな発言に私は疎外感を覚える。まるで異星人の巣窟だ。顔を出すのも億劫だった。
 しかし少なくとも森山とは、星野さんの話が出来る。
 それがいかに下品なものでも、それがいかに不快なものでも、星野さんの話をしている間はその存在をすぐ近くに感じることが出来るのだ。

032| 鳴らない電話
 私は携帯電話を三台、三回線分契約していた。
 一台目は高校生の頃から使っている、いわば普通の回線で、友人知人や親兄弟のケータイ番号を登録している。二台目は風俗店で契約させられた、いわば仕事用の回線で、客との通話やメール専用の電話機になっている。三台目はPHS。端末の色使いがアウレーリアっぽいという理由だけで契約した回線で、電話番号を知っているのは一人だけ。星野さんに宛てたメールの末尾に記した署名の中に、PHSの番号とメールアドレスを書いたのだった。
 一台目のケータイは、基本的に放置状態。二台目のケータイは、電源を切っていることの方が多い。いつでも繋がる関係というものを私は嫌悪している。息苦しい。面倒だ。私を理解出来る人はいない。私がどんな人間で、どんな価値観の持ち主で、どんなことを思っているのか、どんなことを望んでいるのか、誰ひとりとして知らないのにどうして私は彼らといつでも繋がらなければならないのか。納得出来ない。だから私は携帯電話を放置する。
 だけどPHSだけは、いつも手元に置いていた。
 就寝時にも電源を入れて、いつ電話がかかってきても通話出来るようにしていた。
 しかし星野さんからは、電話はかかってこなかった。
 ただブランジァン公式サイトのスタッフ日誌に記された星野さんのコメントが、オフ会以降、やけに明るく楽しげなものに変化した。それを見た森山は、いつものように下品で下世話な発言をスカイプ通話で私に聞かせた。そんなとき、私はPHSを握りしめた。次の瞬間には星野さんが電話をかけてくるかも知れない、星野さんから電話があれば森山の相手をせずに済む、そう思うたびに私の胸は悲鳴を上げるように軋んだ。
 星野さんに対するこの感情が愛ではないと知っていたからだ。
 幼稚な未練に過ぎないと自分でも気づいていたからだ。

033| 楽しさの格差
 森山の息が震えるのがわかった。「こういう話をしてるときって、女性のその、性器はどうなってるんですか」。何度も生唾を飲み込みながら、森山は私にそう尋ねた。
 それはスカイプでの通話中、アウレーリアの従者のラヴィンがどんな風にセックスするのか、聞かれてもいないのに延々と喋り続けた森山が不意に口にしたことだった。
 うわ、面倒だな。森山のエロトークなんて聞かされても濡れることはおろか萌えたりときめいたりすることすらないのになんか、あちらさんは息が荒いし、そもそも私は相手の話をまともに聞いていなかったし、というか最近の森山はやけにエロトークがきついし、かといって馬鹿正直に「あなたのエロネタはつまらないし、興味ないです。星野さんの話だけしてくれればそれでいいです」なんて言ったらまたムキになりそうだし、返事をするのもスルーするのも何もかもすべてが面倒だ。げんなりした気分のまま、私は己の手の中にあるPHSの画面を眺めた。
 森山と話しながら、私は着信履歴をチェックしていた。「ああ」とか「ええ」とか「はぁ」などと適当な相槌を打ちながら森山の話を聞き流し、一件もないとわかっているはずの着信履歴を眺めていた。
「ああ、アネモネさんはこういう話は無理かなー」
 どこか小馬鹿にしたように、森山が呟いた。
 無理じゃないです、あなたとはしたくないだけです。
 そんなことを思いながら「そういう話はちょっとね」と呟き、私はまた、着信履歴を眺めていた。

 冷静に考えると、森山の口にする星野さんの話題は論外だ。
 高梨クンは絶対アウレーリアでオナニーしてますよ、しゅぽしゅぽしゅぽしゅぽしゅぽしゅぽしゅぽしゅぽ、そんな発言は可愛い方で、まあ彼はシェラフィータでもオナニーしてるでしょうけどね、アウレーリアとシェラフィータは鉄板だろうなぁ、シェラフィータのような無垢な聖女を穢すのはたまらないだろうなぁ、そういうのはアウレーリアでは無理ですからね、まあプレイヤーのルックスはアネモネさんが勝ってますけどやっぱ理想化された二次元美少女に三次元は勝てないからなぁ、でもまあ如月凛さんもストレス溜めてましたけどね、公式掲示板のキャラクターメッセージには如月さん悪役キャラばかり投稿していたし、といった感じで、如月凛やシェラフィータの話題で私を苛立たせることもしばしばだった。
 それでもひとりでいるよりは、彼と話すほうがマシだった。
 崩壊した家庭の中、誰もいない部屋でひとり喪失感に苛まれるより、無神経な発言に曝されるほうがまだマシだ。どれほど無神経な発言でも、どれほど下品な発言でも、そこには私のアウレーリアや星野さんが存在する。喪失感と孤独の中では決して想像出来ないことが、私の脳裏に現れるのだ。たとえそれが偽りでも、すぐに消えるものであっても、私にとってはひとりでいるよりずっとマシなことだった。

034| 殺意
 第七回リプレイ小説でも、私のキャラは活躍していた。リアーヌは終末の世において新興宗教の教祖となり、世界にさらなる混乱と絶望をもたらした。アリスはメインシナリオのセッションに採用され、NPCのリリアンとともに例の電波をまき散らした。踊り子のアヌーシュカは闇の王の寵姫となり、女貴族ユーリアは外なる神のしもべとして闇の秩序で人々を統べた。
 しかし自分のキャラクターの活躍などどうでもよかった。
 これまで抑えていたものが殺意となって噴出した。
 そのきっかけとなったものは、リプレイ小説の公開の翌日にアップされた。公式サイトのコンテンツ、全シナリオのダイジェストで、執筆するのは各シナリオの原案・監修担当者。つまりブランジァンのメンバーで、星野さんもそのひとりだった。
 星野さんの担当は、CシナリオとDシナリオだった。
 星野さんの執筆したCシナリオのダイジェストに、聖霊となったシェラフィータがNPCとして登場していた。
 今作の舞台は前作の百年後の世界なのに、シェラフィータは永遠の存在となって物語に登場している。悔しくて仕方がなかった。シェラフィータは生きている。星野さんの中で生きている。前作の物語が終わったあともシェラフィータの人生は続いていて、彼女は星野さんの中で永遠の存在になったのだ。それを見せつけるように、いまいましいエセ聖女が再び表舞台に現れた。アウレーリアはどこにもいないのに。私の中にすらいないのに。この期に及んでまたシェラフィータが私の行きたい場所にいる。
 許せない。殺してやる。
 殺意はシェラフィータに対してではなく、星野さんに対して抱いた。
 それは自分に対する怒りでもあった。星野さんにとっての私がただのお客様でなくなれば私は望みのものを得られる、そんなことを考えていた自分に対する怒りだった。たとえ彼にとっての私が特別なものであったとしても、彼が私の創ったキャラを愛するとは限らない。むしろ特別であるからこそ、表だった場所においてはその事実を隠そうとする。また、私の好意を得ることによってアウレーリアに対する所有欲まで満たされてしまい、結果、表に出てくるのは手の届かない場所にいる女の創ったシェラフィータだけ。釣った魚に餌をやらない、余所の女に興味を抱く、それは男の習性だ。奴らはそういう生き物であり、痛い目に遭わせなければ延々と調子に乗り続けるのだ。
 私には失うものなど何ひとつとしてないのだと知った。
 失うものなどないのだから、手段を選ぶ必要などなかった。
 私は星野さんを脅迫した。本名を知っていることをネタに、しかしどこで知ったのかは告げず、私の発言によってはあなたはプレイヤーとの親交を禁じるサークルの規約に反したと見なされますよ、と脅迫した。メールはサークル経由ではなく、SNSのメッセージで送った。メールアドレスを知らなくてもSNSのアカウントがあれば簡易メールを送信出来る。私はそれを利用した。自力で星野さんのアカウントを探して。打ち上げオフでの発言をヒントに星野さんのプレイヤー時代の掲示板のログを探し、その発言内容からハンドルネームを特定し、そうして集めた情報をもとに彼のSNSのアカウントを見つけ出したのだった。
 だけど脅迫メールの中でさえ、私は望みを言えなかった。
 私が要求したことは、私的な連絡、それだけだった。

035| アイのコクハク
 シェラフィータのことですか? ふざけんな、と思いました。第一線で活躍する有名女性プレイヤーのキャラを自分のものにしたことをそんなに自慢したいのか、って感じです。調子乗りすぎですね、あいつは。ええ、そうです。殺してやりたいです。苦しめて後悔させて二度とTRPGを楽しめないような精神状態にしてから、殺してやりたいです。
 自分の生の感情を、私は森山にぶちまけた。
 森山なんかに弱みは見せない、などとはもう思わなかった。
 GMを敵視する森山の悪意を利用してやろう、と思った。星野GMの悪口を思う存分森山に言わせ、それを聞いて少しでも溜飲を下げたいと思ったのだ。
 しかし森山の反応は、予想外のものだった。
 私の罵詈雑言を聞き終えた森山は、しげしげとこう呟いた。
「星野さんが羨ましいです。そんなに憎まれて」
 何を言っているんだこいつは。なんで羨ましがるんだよ。マゾなのか。森山の価値観がまったく理解出来なかった。私が「はぁ……」と呟くと、森山の声は少しだけ得意げなものに変化した。
「憎む、というのは、愛しているからですよね」
 何を言っているんだこいつは。私のことをアニメか何かの二次元キャラだと思っているのか。愛憎が表裏一体だなんて、そう思いたい人が勝手に言っているだけのことだ。人の生み出す理不尽を愛ゆえだと思うことで、彼らは不条理な現実と折り合おうとしているのだ。愛憎が表裏一体だと証明することは不可能だ。知識だけの概念で私の内面を語るな。私の内面を捏造するな。私の中に愛などない。あるのは怒り、純然たる憎悪のみ。そしてそれは私自身の甘さに対するものなのだ。
 私は星野さんを愛していない。星野さんを求めたのはアウレーリアに対する未練ゆえ、つまり自己愛が満たされないことを不服に思っての感情だ。私はそれを自覚している。一年以上前からずっと、嫌というほど自覚している。この私を馬鹿にするな。愛と未練を履き違えるような馬鹿な奴らと一緒にするな。未練がましい執着を愛だ恋だなどと美化して自己陶酔するような、滑稽で愚かしく人間的な感情は、私の中には存在しない。
「私は怒っているだけです」
「すべてをゲームだと割り切っているのにそこまで感情的になるのはやっぱり、彼のことを愛しているからじゃないんですか」
「違います。私はゲームが好きだからムキになっているだけです」
 嘘をついたつもりだった。しかしあとで思い出すと、驚くほど馬鹿正直に自己紹介してしまっていた。そうだ、私は自分自身の幸せには興味がない。現実の中で生きることにまったく意味を見いだせない。私にとっては虚構こそが生きるべき現実世界なのだ。仮想現実での挫折ゆえに、私はムキになっている。私という存在はどこまで単純なんだろう。こんな単純な私のことを誰一人として理解出来ない。いや、私がさせないだけだ。私という存在を、私自身が殺そうとしている。
 森山の押し殺した声がヘッドフォンから聞こえてきた。
「アネモネさん。僕とお付き合いしていただけませんか」
 何を言っているんだこいつは。森山の脳内では、私は星野さんを愛していることになっているのに、なんでこいつはそんな相手に交際を申し込んでいるんだ。わけがわからない。
 絶句する私の鼓膜を森山の声が震わせる。
「アネモネさんって可愛らしくて、僕なんか相手にされないと思っていましたけど。でも最近は、心を開いていろいろなことを話していただいて、ああ、僕はアネモネさんに選んでいただけたんだな、と思ってね。だったら僕もお付き合いしてもいいかな、なんて思ってお願いしたんですけど」
 キモい。マジでキモい。こいつはいったい何なんだ。
 私の拒絶発言を「心を開いていろいろなことを話していただいて」なんて都合よく解釈したあげく、「お付き合いしてもいいかな」なんて上から目線でお願い(笑)なんて、どんだけ勘違いすれば気が済むんだこいつは。気持ち悪い。同じ言語を使っているのにまるで別の生き物のようだ。こいつを深く傷つけてボロボロにしてやりたいと思った。私風俗嬢なんですけど、チンポをしごいて得た金でブランジァンのセッションに参加してるんですけど、ええホスト遊びと一緒です、私は仮想現実のホストにハマってる痛々しい風俗嬢です、お金が大好きなのでこれからも風俗勤務をやめるつもりはないですけど、こんな私と付き合いたいんですかあなたは、とせせら笑ってやりたくなった。
 それを言わなかったのは、彼に対するおぞましさゆえだ。
 拒絶のつもりで自分自身の身上について話しても、彼はまた、心を開いてもらったと勘違いするのではないかと思った。
 苛立ちと嫌悪が募る。しかしその一方で、私は納得してもいた。
 森山は、私のことが好きだったのだ。だから彼はGMを手当たり次第に敵視して、GMの描いた結果しか見ない私に悪意を抱いた。なんてわかりやすい真相だろう。いや、わかりやすくはない。彼の私に対する好意の正体なんて怪しいものだ。彼は私と会うより先にアウレーリアと出会ったのだ。そして彼はアウレーリアと自分のキャラとの結末を求めた。そこに思い至ったとき、私の胸の奥底からどす黒いものがこみ上げた。愛と未練を履き違え、その欺瞞にすら気づかない、私のもっとも憎むべき、唾棄すべき愚か者。それが彼なのだと確信した。
 私は彼を罵った。プライドをへし折るためでなく、ただ傷つけるためだけに、罵詈雑言を浴びせかけた。罵り出すと止まらなかった。楽しくて仕方がない。私の抱えるものも知らず、私に身勝手な妄想を押しつけ、意のままにならない私に安易な悪意を向けた男を傷つけるのは気持ちいい。私は無力感を忘れた。私の創ったアウレーリアより性悪デブスのエセ聖女を星野さんが選んだこと、愛したことをつかの間忘れた。
 私はその日、森山に絶交を言い渡した。
 後日、彼のキャラクターであるリアーヌの弟は、女性GMのシナリオで女性NPCを屍姦した。そして姉リアーヌに対する愛の言葉をつらつらと、公式サイト内の掲示板に当てつけのように書き込んだ。

036| かつて神を愛した者
 外なる女神アーウィナはかつて、大地母神レーナとしてこの世界を創造した。しかしその存在を快く思わなかった月と夜の女神リューネは、兄であり世界の統治者でもある太陽神イリスをそそのかし、レーナから地母神としての力を奪った。
 この仕打ちに怒ったレーナは、リューネに報復を企てた。しかし神としての力を失ったレーナは女神リューネに惨敗した。そしてリューネを溺愛する太陽神の怒りを買い、世界の外側に追放された。
 イリスとリューネの兄妹神は、大地母神の功績を自らのものにしただけでなく、レーナの存在そのものをなかったことにしたのだった。外なる世界の障気によって異形の魔物となったレーナは外なる女神アーウィナとして、かつての己が生み出した世界を破壊しようとする。アーウィナはイリスが許せなかった。レーナは愛するイリスのためにこの世界を創造した。かつての想いは憎悪となり、この世界に牙を剥く。
 それがA、Bシナリオの主要NPC女神アーウィナの設定だった。
 A、Bシナリオの監修は乃木菜月の担当で、第七回リプレイ小説とともに公開されたこの記事の末尾にも彼女の名前が記されていた。
 彼女の書いたテキストを、私は何度も読み返した。
 彼女もどこかのセッションで私のような思いをしたのだろうかとふと思い、たとえそうであったとしても作品として昇華して周囲の支持を得ている彼女は私とは違うのだと思い、そもそも私は星野さんを愛していなかったのだからたとえアーウィナのエピソードが彼女の心象風景から生まれたものであったとしてもやはり彼女の経験は私とは違うのだと思い、そもそも私は憎悪の裏には愛があるという考え方には懐疑的だからやっぱり彼女の見ている世界に私は共感出来ないと思い、私は乃木菜月にはなれない、乃木菜月は私ではない、そんなことを思いながら、私は彼女のテキストを何度も読み返していた。
 読んでいると胸が軋んだ。どこまで行っても私は孤独で、得られるものなど何もない、そんなことを痛感しながら、その痛みの中でのみ、私の抱える苦痛によく似た痛みがこの世にあることを、それを知る者がこの世のどこかに存在することを、私はとても身近にリアルに感じることが出来るのだ。

037| リプレイ小説より抜粋【5】
 リリアン・ルーは天を仰いだ。頭上を覆う黒い枝の合間に青い空と、そして空に開いた黒い穴がカーテンのように揺れている。
 天に現れた空洞は、虹やオーロラと同じく実体を持たない現象であり、しかしそこから現れる外なる世界の軍勢はこの世界に生きるものを傷つけ死に至らしめる。彼らは女神アーウィナの産み出した異形の戦士だった。大地母神レーナとして世界を創ったアーウィナは、この世に生きる生命をただ殺すためだけに新たな種族を創り出した。原初の母たる創造主だからこそ、あらゆる種の特性と欠点を知り尽くしている。いったい何が有害で、何を不快に感じるのかをすべて把握しているからこそ、そこに存在するだけであらゆる生物の足を止め、知能を有するものならば狂乱状態に陥るようなおぞましい姿の天敵を生み出すことが出来たのだった。
(急がなきゃ。アーウィナが降臨すれば、この世界は……)
 リリアンは汗を拭い、再び枯れ枝を踏みしめる。
「おい、リリアン。なんでひとりで行くんだ」
 背後で男の声がした。聞き覚えのある声だった。リリアンは無言で振り返る。がさつそうな若い男が幹に片手をつきながら息を切らせて立っていた。彼の名はセヴラン。路地裏で倒れていたリリアンを発見し、介抱したのは二ヶ月前。少女の傷が癒えたあともその傍らに留まっていた。
 リリアンはどこか苛ついたような顔でセヴランを一瞥した。
「ついてこないで。これは私の問題だから」
「リリアン。おまえ、あんな大怪我をしたってのに……」
「もう治ったわ。見てのとおり」
「治ったって、おまえ……」
 セヴランは何かを言おうとして、躊躇するように口ごもった。
 リリアンにはセヴランの言いたいことが何となくわかる。
 普通じゃない、ということはリリアン自身も自覚していた。
 しかしそれをセヴランに理解させるつもりはなかった。
 リリアンは微笑みながら遮るように呟いた。
「でも、もう治ったの……」
 リリアンが歩き出そうとしたとき、遠くで少女の悲鳴があがった。それはリリアンの行く手とは別の方向から聞こえた。リリアンは助けを求めるようにセヴランの顔を見たが、そんな迷いも一瞬のこと、「助けなきゃ。ついて来て」、半ば命じるようにセヴランに言いながら、声のしたほうへと駆け出した。
 だからセヴランは言えなかった。
 治ったって、おまえ……、俺がおまえを見つけたとき、おまえは死んでいたんだぞ。高いところから転落して、首を折って死んでいた。なのに翌朝になると、何事もなかったかのように健康体で動き回り……、治ればいいって問題じゃない。おまえはいったい何者なんだ?

 ──時は遡る。
 森の奥の湖のほとりで少女がひとり、祈っている。
 彼女、シスター・ジゼットは母の顔を知らずに育った。
 自分をこの世に産み落とした者、周囲の誰もが必要とし、しかし自分にはその大切さもありがたみも何ひとつとしてわからない母とはいったい何なのか、彼女は知りたいと思っていた。
 しかし世界の滅びに瀕して彼女は不意に理解した。
 女神アーウィナこそが母だ。この世界を創造し、しかしそれを後悔し、己の生み出したものを愛することが出来ずに苦しむアーウィナこそが母なのだ。彼女を救わなければならない、ジゼットはそう強く思った。この世界はこんなにも素晴らしいもので満ちているのに、何故それを生み出した者が世界を憎まなければならないのだろう。神に仕える者として、彼女を蝕む苦しみを取り除かねばならないと思った。
 鏡のような湖のほとりにひとりひざまずき、ジゼットは女神に祈る。
「女神アーウィナ。いいえ、お母さん。私はあなたに感謝しています。この世界を創ってくれたこと。私を生んでくれたこと。生きる喜びや悲しみを私に教えてくれたこと。私はこの世界が好き。この世界に生きるあらゆる存在が好き。私はこの世界のすべてとお母さんを愛しています。だからどうかお母さんも愛を取り戻してください」
「……気持ち悪い」
 背後で誰かが呟いた。息がかかるほどの距離で若い女の声がした。そこに人がいることに今まで気づかなかったのは祈りに没頭していたためか、それとも相手が手練なのか。
 振り向くと、丈の短い扇情的なドレスを纏った少女がいた。
 ジゼットは彼女を知っている。ジゼットの修道院の手伝いをしている踊り子で、名前をアヌーシュカといった。ジゼットよりもふたつ上だが、むき出しになったその手足はシスターよりも細かった。
「アヌーシュカ……、どうしてここに?」
「おまえの祈りはまるで、虐待された子供の命乞いね」
 アヌーシュカの冷たい態度にジゼットは戸惑った。
 彼女の声には抑揚がない、それはいつものことだけど、こんなことを言い出すなんてこれまで一度もなかったはずだ。いったい何が起きているの? 世界の異変と関係があるの? 神に仕える孤独な少女はかじかんだ指を胸元でぐっと握りしめる。
 そんなジゼットを抱きしめるようにアヌーシュカが両手を伸ばす。
「子供はいつも無力だから、そうやって自分を欺くの。本当は怯えているのに愛しているような顔をして、相手を懐柔しようとする。そうしなければ生きられないから、綺麗事を吐きながら生きるために自分を欺く。生きることって、とても醜い。すべての命がなくなれば世界はとても綺麗になるわ」
「そんなことないわ。醜いものの存在しない世界に美しさなんてあるのかしら。世界に誰もいなくなれば、誰が美しさを感じ取るの?」
「生きることはとても醜い、そのこと自体は認めるのね」
 言いながら、アヌーシュカはジゼットを抱きしめる。
 抱きしめながらアヌーシュカはジゼットの動きを封じる。
 凍てついた空気の上を漂うジゼットの声は、晴れやかでありながらどこか寂しげだった。
「はい。醜さも含めて、私はこの世界が好きだから」
「寛大な自分に酔っているところ、悪いのだけど……」
 言葉に反してその声色には、罪悪感など見受けられない。
「……シスター・ジゼット。あなたのその価値観、それはただの悪趣味よ。殺人享楽者や死体愛好者と同種の悪趣味に過ぎないわ」
「アヌーシュカって、変わった考え方をするのね」
 神に仕える少女の声には、怒りも悲しみも哀れみもなかった。善意や悪意を超越した無邪気な好奇心だけが、子供のように残酷にアヌーシュカに忍び寄る。ジゼットの表情は、アヌーシュカには確認出来ない。日だまりのような言葉と声が、泥水のように流れ込む。
「だけどアヌーシュカ。そんな風にばかり考えいたら、生きるのが楽しくなくなるわ。楽しいことがたくさんあった方がいいに決まってるのに」
 アヌーシュカは何も言わなかった。
 楽しいと感じることにいったい何の意味があるのか。楽しいと感じることにいったい何の意味があるのかと誰かに問いかけることにいったい何の意味があるのか。かつては自分も楽しさを感じることが出来た気がする。しかしそれが出来なくなった今、その意味を問うたところで、いかなる答えも価値を持たない、だから何も言わなかった。
 耳に流れ込むジゼットの声は弾むように明るかった。
「ねえ、教えて。アヌーシュカ、あなたはいったいどこから来たの? これまでどんなものを見て、どんなことをしながら生きてきたの? 私、あなたとお友達になりたい……」
 アヌーシュカは何も答えず、ただジゼットを抱きしめた。
 友達志願者を抱きしめる手が、陽光を受けてきらりと光った。
 それは短刀の刃だった。「楽しいことはみんなで分けあったほうがもっと楽しくなるから。だから私、アヌーシュカとお友達になりたいの」、そう呟く口のすぐ横、ジゼットの顔と首の付け根にアヌーシュカは刃を差し込んだ。自分が何をされたのか、ジゼットは理解していない。アヌーシュカは短刀を引き抜き、飛び退くようにジゼットから離れた。傷つけられた頸動脈から鮮血が噴き出すが、返り血を浴びることなくアヌーシュカはジゼットを見下ろす。
「さよなら、シスター・ジゼット」
 アヌーシュカが言い終わる前にジゼットは意識を失った。
 事切れたジゼットの手首をアヌーシュカは切り落とし、そこにはまったいにしえの腕輪を手首もろとも持ち帰る。ジゼットの持つ腕輪を欲する己の主に捧げるために。退廃的な美貌で知られる踊り子のアヌーシュカは、混沌の王ソルティレージュに仕える暗殺者だったのである。
 ジゼットの死体を発見したのは、彼女の修道院を手伝うメルシエ家の兄妹で、妹マノンの悲鳴を聞いて兄のユーグが駆けつけた。
 震える妹の傍らで、ユーグは死体を検分する。
「ちょっと、お兄ちゃん。服なんて脱がせたら……」
「非礼を働くわけじゃない。これは大切なことなんだ」
 ジゼットの体を調べたユーグは、彼女が抵抗しなかったこと、たったひとつの刺し傷が致命傷になったこと、そしておそらく手首は死後に切断されたであろうことを、わずかな時間で見抜いていた。
 ユーグは黙考する。抵抗しなかったのは何故か。魔術で心を奪われた? 筋肉の奥の頸動脈を一突きで正確に切れる者が、わざわざ魔法を使ってまでして非力な少女の抵抗を封じるものなのだろうか? 魔術の類いは使っていない、と考えるのが妥当だろう。犯人はジゼットが油断するような間柄の人物だった。そして死後に切られた手首。そこにはまっていた腕輪こそが殺人者の目的で、腕輪の存在とその秘密を知る者の仕業といえるだろう。これらの条件を満たすのは、ほんの数人しかいない。
(やはりアヌーシュカか……)
 ユーグはすでに知っている。アヌーシュカが裏社会の人間と接していることを。彼女がただの踊り子ではなく、非合法行為に手を染めていることを。しかしユーグの妹マノンはアヌーシュカを好いている。アヌーシュカに対する嫌疑を妹に聞かせるなど、ユーグには出来なかった。
「マノン。おまえは修道院に戻って大人たちにこのことを伝えろ」
「うん……、あ、でもお兄ちゃんは……?」
「俺は犯人を捜す。そう遠くまでは行っていないだろうから」
「お兄ちゃん、ひとりで行くの?」
 マノンは不安げに兄を見上げる。
「ああ。ひとりのほうが動きやすいからな」
 妹と目を合わせずにユーグがそう言ったとき、彼の背後で枯れ葉が鳴った。誰だ。振り向いたユーグの目に、見覚えのある男が映る。大剣を携えた戦士のヴァルラアーム。裏社会に出入りするアヌーシュカと一緒にいた、派手な身なりの男だった。
「残念だが、おまえらはここで死ぬ」
 ヴァルラアームは抜き身の大剣を構えながら不敵に笑った。
 弓矢と短剣を得意とする猟師のメルシエ兄妹にとって、彼は不利な相手だった。ふたりを天に迎え入れる準備が整ったと言わんばかりに上空で羽音が響き、白い羽毛が舞い落ちた。
 妹マノンを庇うように、ユーグが彼女の前に立つ。
 彼は短剣を構えるが、得物の長さがまるで違う、しかも相手に隙はなく圧倒的に不利だった。逃げろ、と手ぶりで妹に言うが、マノンはまったく動かない。兄をひとり死地に向かわせ逃げ出すことなどマノンには出来ない。
 雑草をなぎ払うように、ヴァルラアームが大剣を振るう。
 そのとき一陣の風が吹き抜け、何かが彼らを遮った。
「争いは駄目!」
 彼らの間に割り込んだのは槍を構えた翼人の少女、アリス・ウォーターリリーだった。ヴァルラアームは彼女の蹴りを食らってうずくまっていた。対峙していた三人をアリスは睨み、槍をかざす。
「困ったことが起きたからって、暴力に訴えるのは良くないわ。誠意をもって話し合えばきっとわかりあえるのに、力で解決するなんて……、争いを生み出す者はこの私が許さない。私は平和主義者なの。尊い平和を乱す奴らは私が根絶やしにしてやる! 私の可愛い平和ちゃんを傷つける奴らは死ね、死ね、死ねえええええええッ!」
 麻薬をキメてラリったアリスは奇声を発し、槍を振り回す。
 彼女にとってはすべてが敵、ヴァルラアームだけでなくユーグやマノンも例外なく〝平和を乱す者〟だった。世界の平和を守るため、その目に映るすべてに対してアリスは槍を振り回す。
 しかし動きに無駄が多い。麻薬のもたらす勢いにすべてを委ねた槍さばきは子供の扱う火薬のように破壊力が強く、的外れ。ユーグに向かって槍を突き出すアリスの左足首を、ヴァルラアームは片手で掴んだ。
「この、ヤク中のクソ女が……」
「何するの! 放して! 放せってば!」
 自由の利く右足で、アリスは相手の頭を蹴る。ヴァルラアームの硬い指はアリスのブーツに食い込んだまま、微動だにしなかった。
「放せ。放せって言ってるでしょ! 私は真摯に頼んでいるのに私の言葉に耳を傾けようとしないなんて、これだから暴力狂は嫌、嫌、大ッ嫌い! おまえのような奴がいるから世界の平和が乱れるんだわ、可愛い可愛い平和ちゃんを傷つける奴は死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね殺してやる、殺してやる、殺してやるからその手を離せ! きいいいいいいいいぃッ!」
 アリスは奇声を上げながら、ブーツの踵で男の頭を何度も何度も打ち据える。しかし手応えがまるでない。掴んだ足をヴァルラアームが右に左に揺さぶるため、アリスはうまくバランスを取れず、がむしゃらに足を動かすだけで精一杯という状態だった。狙いを定めることが出来ない。アリスの踵はヴァルラアームの頭の上を滑るのみ。
 ユーグはマノンの手を握り、一目散に逃げ出した。
「逃がすか!」
 ヴァルラアームが追おうとするが、暴れるアリスが邪魔をして思うように動けない。もしも彼女の足を放せば、また襲撃されるだろう。ヴァルラアームは剣を手放し、アリスの細い足首を二本の剛腕で掴むと、まるで物を扱うようにそのまま地面に叩きつけた。アリスは声も上げられない。上半身の背面をしたたかに打ち、脳震盪を起こしてしまう。
 ヴァルラアームは少女を手放し、再び大剣を取った。
 仰向けに倒れたアリスに鋼の刃を振り下ろす。「やめて!」と誰かが叫び、小さな体がヴァルラアームに当たった。乱入したのはリリアン・ルー。ジゼットの死にマノンが上げた悲鳴を聞いたリリアンが、ようやく到着したのだった。
「その子を殺さないで」
 有無を言わせぬ強い口調でリリアンが大男に言う。
 ヴァルラアームは何も言わず、皮肉げな笑みを浮かべて乱入者を一瞥すると、逃げたメルシエ兄妹を追いかけるべく森に向かった。
「リリアン、こいつは……」
 アリスを見るセヴランの声には非難と疑問が浮かんでいた。
 リリアンは押し殺した声で答える。
「アリスは人間だから。人間社会の法で裁かれるべきだわ。冒険者風情が勝手な正義感で殺していい相手じゃない」
 でもなぁ、と言いたげなセヴランをリリアンは黙殺した。
 その隙にアリスは天高く舞い上がり、湖を離脱する。
「ねぇ、聞いた? お星様。私は人間なんだって。おかしいわよね、私は翼人、神に仕える存在なのに。人間を導く存在なのに。翼人を人間扱いするなんて、まるで神様か魔物みたいね」

(『外なる神々の囁き』第八回リプレイ小説B-1『母という名の幻想』より抜粋)

038| 愛着
 良い意味で、アリスは便利に使われているキャラだ。
 セッションの内容から離れた部分でも出番をもらい、動いている。
 アウレーリアやリアーヌだと抵抗を感じるはずなのにアリスだと歓迎出来るのは、アリスというキャラクターを私が嫌っていたからだろうか。

 あの日、森山に告白された夜。星野さんに対する憎悪を聞かされた森山は「シェラフィータを殺しに行っていいと思いますよ」と私に言った。「まあ、殺させてくれないでしょうけどね。でもシェラフィータに襲いかかるアリスを見れば、高梨クンも目を覚ますんじゃないですかね」と森山は付け加えた。
 中盤までは禁じられていた参加シナリオの移動だが、その頃になると認められていて、森山の提案を実行することは充分可能な状態だった。
 しかし私は「嫌です」と答えた。森山に踊らされたくなかったし、それに何より、私の個人的な感情でアリスを汚したくなかったのだ。
 自分でも信じられなかった。アリスは私の個人的な感情から生まれたキャラクターだ。身勝手な逆恨みから生じたキャラ、悪意に満ちた模造品だ。私は元々アリスというキャラを殺すつもりで創った。大嫌いなキャラをコピーして、悲惨な末路を与えたあげく、もしも周囲から非難されれば「自分の創ったキャラクターをどう扱おうと私の勝手」と開き直るつもりだった。実際は悪辣なパロディなのに、キャラの扱いを非難されれば作者が自分であることを振りかざそうとするなんて、まるで我が子を虐待する幼稚な母親の居直りだ。醜い。そうは思っていても、己の姿勢を正すことなどどうでもいいと思えるほど、私はシェラフィータやその仲間を、そしてアリスを憎んでいた。
 だけどセッションを重ねるうちに、私の中で変化が生じた。
 嫌いで嫌いで仕方のなかったアリスというキャラのことを、誇らしく感じるようになった。リプレイ小説で愛情をもって書いてもらえたからだろう。派手な活躍ではなかったけど、私の期待するような描写ではなったけど、アリスのことを気に入ってくれた担当GMが彼女を生き生きと書いてくれた、その事実が私の中に生みの親としての誇りを芽生えさせた。そんなアリスを、私ひとりの手ではなくGMや他の参加者と共に育てたアリスというキャラを、私ひとりの個人的な復讐で汚したくなかった。NPCとなったシェラフィータを見て、私には失うものなど何もないと思い知ったのに、それでも私は殺すつもりで創ったアリスを捨てられなかった。私は矛盾に満ちている。星野さんを脅迫し、彼の対応次第ではブランジァンのセッションメンバーから除名される羽目になるのに、そこでしか価値を有さない己の創作物を守っている。どこまでも支離滅裂だ。私はそれを自覚していた。忘れることも諦めることも折り合いをつけることも出来ず、許すことも愛することも受け入れることも出来ず、胸に渦巻く怒りと憎悪にすべてを委ねることも出来ず、己の脳裏に浮かぶものを誰かと分かちあうことなく、ひとりうずくまっている。なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。私のこの存在は、なんて無価値なんだろう。アリスというキャラクターを私は誇っていのではなく、アリスに向けられた好意にすがっているだけなのかも知れない。

039| リプレイ小説より抜粋【6】
 大迷宮の壁から生えた燭台の上で炎が揺れる。
 平均的な大人の背丈の三倍はある高い天井、この世のものではない石を磨いて造った壁のタイル、それらに陰影を添える炎はこの世界の外側の神の領域のことわりにより、この世が終わるそのときまで尽きることなく燃え続ける。
 うつろな地下迷宮に、ふたり分の靴音が漂うようにこだまする。
 名前を抹消された男とその主たるリアーヌが、最深部の<扉>を目指し、おぼろげな闇を無言で歩む。
 世界の外側に通じる<扉>はすでに開いているという。世界を棄てる創造主からこの世界を守るべく、兄妹神との対話を試み、最高位の女司教が禁忌の秘術を用いたのだった。彼女を補佐する者たちもこの、竜の孤島の地下に広がる大迷宮を訪れており、無駄な戦闘を避けるべく魔剣は人に化身していた。戦えばおそらくリアーヌが勝つ。しかし件の女司教とその支援者の知識や力はリアーヌのそれとは大きく異なり、神を殺す、その目的を達成するにおいて利用価値があるはずだ。だから今は生かしておき、神への道を造らせる。それがリアーヌの判断だった。
 見覚えのある人影が、ふたりの行く手に立っている。
 アルテュール。太古の歴史を研究すべく魔剣を求めた少年で、リアーヌと魔剣を巡り会わせた張本人でもあった。周囲に仲間の姿はない。彼はひとりで立っている。魔剣によく似た抜き身の剣をしっかり握りしめながら。
 見覚えのある剣だった。リューネ教会の聖剣だ。古代の英雄アレスティードの意識を宿した聖なる剣で、女神リューネの婿として、いかなる聖職者よりも強い発言力を有していた。
 薄闇の中でも見て取れるほど、アルテュールの顔色は悪かった。頬はやつれ、下瞼には黒いクマ、しかしその双眸は異様なまでにぎらついている。リアーヌはすべてを悟った。リューネ教会の重鎮によってアルテュールは麻薬漬けにされたのだ。聖剣を振るうための人間兵器にするために。理由はおそらく手配書の似顔絵、アルテュールはリアーヌを庇って虚偽の自白をおこなった、手配書の似顔絵がまったく似ていなかったのはアルテュールの証言を参考に描かれたからだろう。しかしリアーヌは元々は女神リューネの神官戦士、教会の内部には彼女の容姿を知る者も少なからず存在する。アルテュールのついた嘘が露見するのも時間の問題。彼は教会の上層部から、凶悪犯リアーヌの逃亡を幇助した罪人と見なされ、聖剣を動かす器としてその生命を使い潰すべく、人格を剥奪されたのだろう。それが彼らの手口であるとリアーヌは知っていた。
 アルテュールと十歩の距離を置き、リアーヌは足を止めた。
 少年はリアーヌではなく封じられた男を睨んだ。
「おまえは私が封じたはず……」
 どいうこと。リアーヌの背筋に戦慄が走る。アルテュールの口調は、以前とはまるで違っていた。どういうこと。何故アルテュールはこの人が魔剣に封じられたことを知っているの。その答えが脳裏の片隅にちらつくのを感じながら、リアーヌは男の声を聞いた。
「アレスティードに洗脳されたか。傀儡ではないと見えるが」
「傀儡……?」
「使い手の意識を完全に乗っ取り、意のままに操るすべのことだ。魔剣と使い手、双方の合意によって成される」
 リアーヌの胸の奥底でどろりとしたものが疼いた。そんな話、一度も聞かせてくれなかった。そんなことが出来るのに、一度も試みようとしなかった。どうして。苛立ちを覚えたがリアーヌはそれを言葉にせず、己自身の感情から離れたことのみを尋ねた。
「魔剣……? でもアルテュールのあの剣は……」
 封じられた男が冷ややかに口元を歪めた。
「聖剣だと言いたいのか。同じものだ。世界を支える柱の欠片に人の存在を封じたもの、それがあの剣の正体だ。中に封じられた者が英雄ならば聖剣と呼ばれ、罪人ならば魔剣と呼ばれる。その程度の違いでしかない」
 どうして英雄アレスティードが剣に封じられたというの。どうして英雄アレスティードがあなたのことを知っているの。声が出ない。リアーヌの脳裏にちらつくものが、確信へと姿を変える。
「アレスティードは野心家だった。世界の外側を目指した男を魔剣に封じ、ありとあらゆる歴史書から男の名前を抹消したが、奴にとってそれは己の野望を成就するための実験でしかなかったのであろう。アレスティードは宿敵を封じた手段をもって、己のすべてを欠片に宿した。永遠の存在として地上に君臨するためにな。……それがあの、聖剣だ」
「ああ、だから……」
 だからあの聖剣は、教会内部ですら化け物なんだ。
 リアーヌは納得した。何故聖剣の使い手が教会にとって不都合な罪人ばかりで、何故彼らは皆一様に麻薬漬けにされるのか、その理由を理解した。
 永遠の存在として教会内部に君臨するかつての英雄はもはや、不死の化け物に成り果てていた。人として生まれながら人にあらざる身となって人の世に君臨する彼の自我はいびつに突き抜け、聖剣の使い手となった者の精神を蝕み食い潰す。ゆえに教会上層部は、リューネ教会の面子を潰した犯罪者を利用する。死罪になるほどではない罪人に麻薬を与え、判断力や理性を奪い、聖剣の意思を行使する人間兵器に仕立て上げる。表舞台では英雄に祭り上げながら、密かに葬り去るために。
 そうして聖剣士になったのが目の前の少年、アルテュールだった。
「剣に戻って」
 リアーヌが命じると、男の姿が無言でかき消え、代わりに黒い大剣が少女の手に収まった。それを合図にするように、少年の足が動いた。
 アルテュールは濁った目でリアーヌに刃を振りおろす。
 リアーヌはそれを横にかわし、少年の背面に反撃を叩き込もうとした。しかしリアーヌの動きは相手にことごとく読まれており、どんな場所を狙ってもすべて受け止め、かわされる。細い腕が疲労で痺れる。アレスティードの剣の腕は魔剣の男とほぼ互角、しかも相手は苦痛や苦悩を感じることなく剣を振るう人間兵器と化しており、体力や筋力が劣っているリアーヌの方が不利だった。
 十人の大人が手を広げても囲みきれない巨大な柱、その陰に身を潜め、リアーヌは呼吸を整える。大粒の汗が上気した肌を伝い落ちてゆくのを感じた。重みを感じさせないはずの剣を振るう腕が重い。
『リアーヌよ。先を急げ』
 囁くように魔剣が命じた。リアーヌは軽く苛立つ。
「駄目よ。相手を殺してからじゃないと……」
『あの小僧は捨ておけ』
「彼の持つ聖剣。いえ、皆が聖剣と呼ぶ魔剣には、あなたを封印したアレスティードの意識が宿っているのよ。一刻も早く聖剣を破壊し、使い手を殺さなければ……」
 怒りにも似た憎しみがリアーヌの胸の奥でくすぶる。
 しばしの沈黙のあと、魔剣がリアーヌに問うた。
『リアーヌ。私と出会ったことを悔いているのか』
「いえ。いいえ。どうして私がそんな風に思わなければならないの」
『ならば捨ておけばよかろう。奴が私を封じなければ貴様と出会うこともなかった』
 その声はどこか優しげで、リアーヌの胸の奥は締め付けられるように痛んだ。
 出会ったばかりの頃、彼の言葉には怒りがあった。神を殺して成り代われ、その言葉にもやはり、己自身の復讐にリアーヌを利用するような節があった。なのに何故、今になって急にこんなことを言うのだろう。彼は私と出会ったことを喜んでくれているのだろうか。彼にとって私との邂逅は、己を損ねたアレスティードの所行を許せるほどのものなのだろうか。いいえ、きっとそうではない。そうではないとしか思えないこと、嬉しいと思えないことが、何よりも寂しかった。
「あなたはこの魔剣の中で、気の遠くなるような時間を無為に過ごしたのに……」
『私はすでに死んでいる。死者にとって時は無意味だ』
「でも……」
『私の目的は復讐ではない。いや、かつてはそうだった。アレスティードとこの世のすべてに復讐したいと願っていた。しかし今となってはもう、そのようなものに興味はない。世界の外側にたどり着けさえすれば、もはやこの世に未練はない』
「私は……」
 リアーヌの視界が涙で滲む。
 アルテュールの足音が柱の裏側で鳴った。リアーヌは立ち上がり、魔剣の柄を握り直す。切っ先が床に当たった。金属と石がぶつかるような寒々しい音がうつろに響いた。「隠れても無駄だ」。アルテュールの足音がこちらに近づくのがわかる。磨き上げられた石の床には、靴音がよく響く。リアーヌは靴を脱ぎ捨てながら、魔剣に封じられた男に言った。
「あなたを損ねた者を見逃すことなんて出来ないわ」
 素足になったリアーヌは、足早に柱を一巡し、アルテュールの背に斬りかかる。気配を察して振り返るアルテュールだが、遅かった、振り向きざまに斬りつけようとしたことが裏目に出て、剣を握る利き腕に魔剣の刃が叩き込まれた。刃は鎧に阻まれて、切断には至らなかったが、骨は折れたかひび割れたか。どちらにせよ、痛みで剣は振るえまい。リアーヌはそう判断し、とどめを刺すべく一歩踏み込む。
 しかし彼女は忘れていた。
 薬漬けになったアルテュールは、痛みも恐怖も感じない。
 剣を振るうことはおろか握ることすら出来ないはずのアルテュールの腕が動く。聖なる魔王を封じた刃がリアーヌの胸を貫く。判断を誤った。己の死を意識しながら、リアーヌは心の奥で魔剣の男に呼びかけた。
(お願い。私を魔剣の傀儡にして)
 返事はない。声を出そうとしてみても、血の塊が溢れるのみ。
(私の意識を消してしまえば、痛みも疲労も感じなくなる。相手と同じ条件で私の体を動かせる。だから……)
 返事はない。リアーヌの脳裏に男の姿がよみがえる。
(私は駄目ね。あなたにとって私はただの便利な道具に過ぎないのに……、そんなことは最初からわかっていたはずなのに、私はあなたに惹かれてしまった。そして冷静な判断が出来なくなって……。だけど死ぬわけにはいかない。あなたとの約束を果たさなければいけない。私はあなたを世界の外側に連れていかなければならない。だからお願い、私を魔剣の傀儡にして。そうすればあなたは世界の外側に……)
『……貴様は自分の言っていることの意味を理解しているのか』
 押し殺した声が聞こえた。彼女が求めたその声は耳から聞こえてくるのではなく、脳裏に直接響きわたった。
『ひとたび魔剣の傀儡になれば、二度と戻ることは出来ぬ。人格も思考も自由意思も完全に失われ、もしも魔剣を手放せば廃人としてその生涯を終える。魔剣の傀儡になった瞬間、貴様は人としての死を迎えるのだぞ』
 それでいい。リアーヌは安堵を覚え、己の口元が緩むのを感じた。魔剣の傀儡にならなくても死ぬ、どうせ死ぬならあなたを世界の外側に連れていけるほうがいい、あなたを損ねた者ではなくあなたに殺されるほうがいい。だから私が死ぬ前に魔剣の傀儡にしてほしい。そして目の前の敵を殺し、アルテュールの生命力でこの致命傷を癒し、空っぽの器を使って世界の外側を目指してほしい。
『リアーヌ』
 主の名を呼ぶ男の声は明らかに怒気をはらんでいた。
 しかしリアーヌは怯まない。
(心があるから判断を誤る。私に心なんていらない)
 男は何も答えなかった。まるで絶句しているかのようだ。
 己の中の空洞に向かって祈るようにリアーヌは願う。
(私には利用価値があると、あなたはそう思ったのでしょう? 世界の外側に行くために利用出来そうだ、と……。だったら最後まで私を利用してほしい。世界の外側に行くために、私という器を使ってほしい)
『……承知した。世界の外側に行くために最良の選択をしよう』
 リアーヌの脳裏に男の記憶が流れ込む。
『リアーヌ、私は……』
 男が何か言っている。決意に満ちた静かな声。彼の言葉を最後まで聞かなければならないとリアーヌは思った。しかし続きは聞き取れない。脳裏に流れる情報の濁流に押し流され、男の声は、その言葉はかき消されて見えなくなる。
 リアーヌが我に返ったとき、決着はすでについていた。剣に操られるだけの自我を持たないアルテュールと、ふたり分の人生を脳裏に宿したリアーヌでは、たとえ瀕死の重傷を負ってもリアーヌのほうが強かった。勝者は自我を有したまま、無傷でそこに立っていた。ただ、魔剣が重かった。魔剣本来の重量が、使い手の腕に負担を強いる。これまで中にあったもの、リアーヌを主と定め剣の重みを肩代わりした人にあらざる存在が、魔剣の中から消えていた。
「どうして……」
 問いに答える者はいない。
「どうしてこんな……」
 空洞になった魔剣。その重みは、魔剣に封じられた男が世界の外側に行くために切り捨てるべきものがあるとするならそれはリアーヌの心ではなく、己の存在そのものであると判断したことを意味していた。

(『外なる神々の囁き』第八回リプレイ小説F-1b『棄てるべきもの』より抜粋)

040| マインドレイプ
 何かが違う。求めているのはこれじゃない。
 リアーヌのリプレイ小説を読むたびに感じた違和感が、第八回の結果を受けて決定的なものになった。胸に開いた空洞が冷える。ついていけない、と私は思った。こういうノリは苦手だ、と思った。自分の中で渦巻いている自分でも処理しきれないものが、他人の物差しで単純化され、ウケのいい枠の中に押し込められたような気がした。それは敗北感でもあった。周囲が求めているものは私の創ったキャラでもなければ私の演じるキャラでもなく、わかりやすい王道展開なのだ、それがわかっているだけになおいっそう嫌悪が募った。
 だけど私は涙を流した。自分の書いたものではない、セッション中の台詞でもない、志水GMが独自に書いたリアーヌの台詞を読んで、私は涙を流していた。それは私のイメージするリアーヌの言葉ではなく、私自身の本心だった。
「あなたを損ねた者を見逃すことなんて出来ないわ」──そうだ、だから私は森山を罵らずにはいられなかった。半分くらいは私のせい、私が言わせたこととはいえ、星野さんに対する彼の発言を私は不快に思っていた。星野さんに関する下品な冗談を言うたびに、私は怒りを感じていた。「私は駄目ね。あなたにとって私はただの便利な道具に過ぎないのに……、そんなことは最初からわかっていたはずなのに、私はあなたに惹かれてしまった」「私には利用価値があると、あなたはそう思ったのでしょう? 世界の外側に行くために利用出来そうだ、と……。だったら最後まで私を利用してほしい。世界の外側に行くために、私という器を使ってほしい」──それは私が星野さんに対して言わなければならないことだった。多少の違いがあるとはいえ、だいたいこれで合っている。シェラフィータのNPC化に対する怒りも、突き詰めればこういうことだ。
 だからこそ、嫌悪が募った。だからこそ、私は怒った。
 なんでおまえがこれを書くんだ。星野さんには理解出来ない、伝えられない本心を、なんでおまえが勝手に書くんだ。私の創ったキャラクターをうまく描けないおまえなんかが、なんで私の言いたいことを勝手に小説にしてるんだ。ふざけるな。なんだこれは。私の本心を公開していいと許可した覚えなんかない。それとも何か、これはおまえ自身の本音か。リアーヌにハマってGMとしての公正さを失ったことに対する自責の念から生まれた台詞か。そうなのか。だったら笑ってやる。通じるはずのない相手にこんな想いを抱くなんて、おまえはなんて愚かなんだ。
 そう思うとまた、涙が溢れた。救いようのない愚か者を馬鹿にしているだけなのに、胸が痛くて仕方がない。
 リアーヌらしいと思えない、嫌悪を覚えるこの展開を、私は何度も読み返した。読みながら、星野さんもこの小説を読んでいるだろうか、と思った。これが私の本心なのだと気づいてくれるだろうか、と思い、多分無理だろうな、と思った。

041| 振られ男の捨て台詞
 森山からメールが届いた。文面自体は丁寧だった。しかしその内容は、私に対する無理解と勘違いに満ちていた。
「短い間でしたが、アネモネさんとお話しさせていただいて勉強になりました。私のことを信用していただけなかったことは今も残念でなりません。結局最後まで住所は教えていただけませんでしたね。実は私はアネモネさんを仕事にお誘いしようと思っていたのです。スカイプで某大手ゲームメーカーの裏事情を何度かお話ししましたが、私はそこの社員です。察しのいいアネモネさんはとっくにお気づきだと思いますが。私のそれとない勧誘にまったく興味を示していただけなかったのは残念でしたが、アネモネさんは有名企業の大作ゲームのスタッフとして第一線で作品を創るより、素人の集団と一緒になって無名のライターと創作ごっこをなさっている方がお好きなようですので、勧誘は諦めることにいたします。短い間でしたがお付き合いいただき、ありがとうございました」
 イラッとした。本人としては慇懃無礼に煽っているつもりなのだろうが、その的外れな挑発に私は思わず苛ついた。有名企業の名前を出せば、逃した魚は大きかったと私が悔しがるとでも思っているのか。自分の価値観や美意識が私にそのまま通用すると思っているかのような言動、その浅はかさが嫌なんだ。
 私は有名なライターと知り合いたかったわけじゃない。広い世界に出ていって有名になりたいわけでもなければ、自分の生み出した創作物を評価されたいわけでもない。私の望みは、私はただ、そこまで思ったとき不意に、打ち上げイベントの席で私に何かを伝えようとしていた星野さんの姿を思い出した。頭の中から言葉が消え、代わりに涙があふれ出した。どんなに綺麗な愛や理想も、どんなに醜い欲望も、私が星野さんにこだわる理由を説明するには力不足だ。言葉は意味を定義する。その範囲はとても狭い。私の抱えるものすべてをカバーすることなど出来ず、カバーしきれなかったものは存在しないものとして無自覚に否定される。それが言葉だ。言葉は事実や真実を歪め、世界に誤解を拡散する凶器だ。にも拘わらず森山は、わかりやすい言葉を用い、自分の知っている概念の中に私を押し込めようとする。だから私は森山を信用しないし好きにならない、それがわからないのだろうか。
 森山からの最後のメールを私は即座に削除した。
 私を苛立たせる森山の姿が私自身だと気づいたのは、ずっとあとのことだった。

042| ひとつになれない
 如月凛の投稿がウザい。公式サイトに設置されたキャラクター専用掲示板に如月凛が投稿したなりきりメッセージが目障りだ。
 如月凛は、自身の演じるキャラクターになりきっていた。その内容や台詞回しは、かつて星野さんが執筆した悪役の台詞にそっくりだった。偶然だとは思わない。シェラフィータの登場するリプレイ小説に書かれていたのだ、如月凛も読んだはずだ。
 私は自分の持ち物を汚されたような気分になった。
 大切に育てた花を豚に食われたような気分になった。
 TRPGには、模倣の遊びとしての側面があると思っている。そもそもTRPG自体が『指輪物語』の模倣からスタートした遊戯だし、ごっこ遊びの一種である以上、模倣は是とするべきだろう。どこかで見たようなキャラクターに、どこかで見たような台詞を言わせる。それを繰り返すことによって初めて見えてくるものもあるのだと、オリジナリティと呼ぶべきものは模倣の果てに宿るのだと、私は考えているからだ。むしろそのような側面や模倣の価値から目を背け「あの人のキャラは○○のパクリだ。パクリカッコ悪い」などとドヤ顔で言っている奴の方が、痛いだけだと思っている。
 だから彼女の書いた台詞に元ネタが存在すること自体は、私は悪いとは思わない。言い回しの酷似もまあ、模倣の遊びと受け止めれば許容範囲内といえる。私が許せなかったのは、星野さんの見ている場所で、星野さんの書いた台詞をそっくりそのまま模倣したこと。かねてから一目置いていた有名女性プレイヤーに自分の書いた台詞をパクられたら星野さんは喜ぶのかな、と思ったら苛々した。いや、不快に思うかもしれない、と思ったら苛々した。如月凛は件の台詞が気に入ったのだろうか、と思ったら苛々した。星野さんの見ている世界、その価値観に共感したのだろうか、と思ったら苛々した。それともプレイヤー個人としての本音を隠すために利用しただけなのだろうか、と思ったら苛々した。いや実は件の台詞を生み出した張本人は如月凛で模倣したのは星野さんのほうだったのかも知れない、星野さんは如月凛に一目置いているのだから彼女がどこかで書いた台詞を本編に〝採用〟したのかも知れない、と思ったらこの世のすべてを滅ぼして自分すらも消したくなった。
 苛立ちが収まらなかったから、浮浪者に輪姦されるシェラフィータの姿を想像した。貧民街での施しのさなか、柄の悪い浮浪者の集団に包囲された可憐な聖女は、裏路地に連れ込まれて輪姦される。何でも受け入れるシェラフィータ。人間が大好きなシェラフィータ。そんな聖女様の分際で、臭くて汚い浮浪者のチンポは嫌がるなんて許せない。ムカついたから、口とマンコとケツの穴を臭いチンポで同時に犯した。苦痛に歯を食いしばった拍子に聖女はチンポを噛みちぎる。非力な女にすぎないと彼女をナメてかかっていた男たちの態度が変わった。シェラフィータは殴打され、小さなマンコを二本のペニスで串刺しにされて悶絶した。いい気味だ。だけどこの程度ではイケない。忌々しいシェラフィータは触手のような人間未満の化け物に犯され、汚され、殺されてくれなければ。
 だからそれを想像した。だけどやっぱりイケなかった。
 仕方がないから大嫌いなアニメに出てくる上っ面が可愛いだけの女性キャラを触手で犯した。

043| TRPGは人間同士でおこなうゲームです
 厳密な話をすると、アウレーリアが件のNPCに好意を抱いている、と小説内で明記したのは星野さんではなかった。その回は星野さんが急病で倒れ、急遽代打で別のGMが執筆を担当したのだった。執筆はセッションのログをもとに行われたから、その場のノリでぽろりと漏らしたプレイヤー自身の発言がキャラクターのものとして混同されてしまったのだろう。
 私はとてもショックを受けた。私自身の血肉から生まれ、自身の手で魂を吹き込んだキャラクターがねじ曲げられた。それは私自身の感性、私自身の価値観を否定されたも同然だった。おまえの創ったキャラクターなんていらない、おまえの感性おまえの価値観おまえの人格はいらない、そう言われたも同然だった。
 それだけではなかった。私の参加シナリオは別人が執筆しているのに、シェラフィータのシナリオは星野さんが執筆している。その事実がなお一層、被害妄想をかきたてた。星野さんはアウレーリアに飽きたんだ、だから他の人に任せた、星野さんはシェラフィータさえいればいいんだ、アウレーリアはもういらないんだ。いくら冷静になろうとしてもそんな疑念が抜けなかった。
 私は今、キャラクターの発言とプレイヤーの発言を厳密に区別しておこなっている。誤解されるのが怖いから、自分の創ったキャラクターについてくどいほど説明するようになった。ブログには詳細なキャラ設定をアップ。自分でもどうかと思うけど、誤解されて泣くのは自分だ、いつ何時、執筆担当者が別の人に変わってしまうかわからない。
 TRPGは、人間同士でおこなうゲームだ。人間には感情がある。好き嫌いや価値観がある。GMも人間だ、書きたいと思えないものは執筆を後回しにするだろうし、他人任せにもなるだろう。TRPGは、人間同士でおこなうゲームだ。人間は病気になる。心身が不調のときはセッションもおこなえないし、リプレイ小説も執筆出来ない。ブランジァンのセッションはスケジュールを重視しており、それを乱すことになれば執筆担当者は変更になる。全セッションを同一GMの担当でおこなえることのほうが、奇跡と呼ぶべきことなのだ。TRPGは、人間同士でおこなうゲームだ。人間はいつか死ぬ。それがいつ訪れるのかは誰にもわからないことで、キャンペーンシナリオの終了前に誰かが欠けるかも知れない。TRPGは、人間同士でおこなうゲームだ。参加者全員の人生が、その内容に影響を及ぼす。森山が敵視したオナニー補正とか理想化とか、そんなものは些細なことで、参加者の生死すらもゲームの結果の一部となる。TRPGは、現実だ。人間同士でおこなうゲームは、ゲームを越えた現実だ。
 私のキャラクター設定を見た人が「そこまで細かく書かなきゃあなたのキャラクターの魅力は伝わらないのか」とせせら笑った。馬鹿な人だな、と思った。私が自分の創ったキャラの魅力を伝えようとしていると勘違いするなんて。私の内心を捏造するな。自分の創るキャラクターには魅力がないと思っているから、いともたやすくねじ曲げられてしまうと知っているからこそ、私は喪失に備えるのだ。
 いつ何時、リプレイ小説の執筆者が変更になってもいいように。
 誰が書いても私の創ったキャラクターらしくなるように。
 滑稽なのは自覚している。痛い奴だと自分でも思う。だけど自分の言動が他人にそう思われることより、自分の創ったキャラクターが歪められることのほうが、私には耐えがたかったのだ。

044| 神との決別、という名の宗教
 うんざりした。げんなりした。第九回のリプレイ小説、そこに描かれたリアーヌの大活躍に気力が萎えた。
 なんだこの気持ち悪いノリは。それが率直な感想だった。セッション中にはなかった言動、身に覚えのない動機、知らないキャラクターとの絡み、すべてがその連続で、それはもはやTRPGのリプレイ小説などではなく、リアーヌというキャラを借りたオリジナルライトノベルだった。だから悪い、というわけではない。たとえセッションの内容とかけ離れた作品でも、リアーヌらしさがそこにあれば、私は許容出来ただろう。しかし志水GMの書いたリアーヌは別人だった。「魔剣に封じられた彼のために」などと声高に宣告し、感情的に人を襲い、敵に対して泣き言を漏らし、挙げ句の果てには聖女気取りの十代美少女に説教されて感動(笑)の改心。しかも志水GMの後書きには「次回はいよいよ最終回です。みんなで協力してひとつの物語を作りましょう」。やってられるか、と思った。志水GMの言う〝みんな〟の中に私は含まれていない。彼は皆でと言いながら、その実、私を排除している。何故なら私のこの感情、作中のリアーヌの価値観に違和感を抱いたこの感性、聖女キャラの綺麗事では埋めることの出来ない虚無とそこから生まれるキャラクターは、〝みんな〟で創る志水GMの物語とは相入れない。
 リアーヌに最終回はいらない、と思った。
 あれほど望んだ最終回、私のもっともほしかったものがこんな安っぽい茶番劇で汚されていいのだろうか。そんな最終回ならば、得られない方がマシではないのか。私は疑問に囚われた。気づいたときには己の中で最終回を理想化していた。感性の合うGMと納得のいくロールプレイ、心の底からゲームを楽しみ活躍することによってたどり着くのが最終回だ、アウレーリアの最終回はそうでなければならなかった、アウレーリアが得られなかった輝きに満ちた最終回を私は得なければならない。そんな理想で己を縛った。だからリアーヌに待ち受ける最終回に抵抗を感じた。
 私は結局最後まで『外なる神々の囁き』という作品を楽しめなかった。喪失感に引きずられたこと、星野さんがいなかったこと、もちろんそれもあるけれど、シナリオのテーマや空気が自分の感性に合わなかった。『神との決別』──それがこの作品のテーマで、作中では神と戦うキャラクターを英雄扱いしているのだが、結局彼らがしていることは『神との決別』という名の神を創り出してすがることだ。まったく決別出来ていない。かといって、神とは何か、何故人は神を必要とせずにはいられないのか、それらを論じているわけでもない。『神との決別、神からの自立』という名の教義を振りかざして陶酔する人間教の狂信者が英雄扱いされているだけ。なんという茶番だろう。この浅さ、平べったさが、私には我慢ならないのだ。
 私は公式サイト内のキャラクター掲示板に書き込んだ。
 キャラクターを隠れ蓑に、シナリオに対する毒を吐いた。
 気分が良かった。如月凛が毎月のように書き込む気持ちがわかるな、と思い、いや違う、私が感じているものは如月凛の気持ちではない、私自身の快感だ、私はキャラクターを隠れ蓑に暴言を吐くことに快感を覚える、自分がこういう人間だから如月凛の言動を見て「キャラクターを隠れ蓑に自分のエゴを発散している」と感じたのだ、私には如月凛の内面など知り得ない、私に見えていたものは自分自身の姿だけだ。私は如月凛という人間を模倣したのではない、ただ彼女を口実にエゴを発散しただけだった。
Copyright © 『アンチ・シンデレラ』 白木紅愛・作. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。