何故私は彼女を殺し、その肉を食らったのか。

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プロローグ
 かつては彼女だったものが尻の穴から滑り落ちる。
 かつては彼女だったものが体の外に排出される。
 かつては彼女だったもの、乃木菜月として知られた個体を構成していた有機物が、今や排泄物となり、便器の奥に落下した。
 乃木菜月。生きることに失敗し、死ぬことにすら失敗した私にもう一度だけ頑張ってみよう、と希望を与えてくれたひと。相入れないものばかりの世界にひとりで生きているのは決して私だけじゃない、と勇気を与えてくれたひと。決して私を愛することなく、生きることすら棄てた私にさらなる孤独を教えたひと。愛しく憎い乃木菜月。憎むがゆえに私もまた、彼女の選択、彼女の行動、彼女の存在そのものを受け入れることが出来なくなった。私にとって彼女は希望、灯火だったはずなのに。
 彼女を殺して肉を食らえば、ひとつになれると思っていた。
 彼女を己に取り込むこと、それが最後の希望だった。
 だけど私の体は勝手に彼女の肉を消化して、かつては彼女だったものを汚物として排泄した。私の意思は彼女のすべてを強く欲しているはずなのに、体は都合のいいものだけを選び取って吸収し、私に無断でそれ以外を不要物と断定する。なんて身勝手なんだろう。私という個の存続は、愛も憎悪も軽視した身勝手によってなされている。ああそうだ、だからこんな結末しか迎えることが出来なかった。私という個を存続させるために私自身すらをも裏切る、エゴイスト極まりないこの肉体の在り方こそが、私自身の精神性、生き方そのものだったのだ。
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001| このブログについて
 私はいかにして殺人を犯し、肉を食らうに至ったか。
 それを記述するために、このブログを開設した。
 とはいえ私の回顧録を人に見せるつもりはない。私の犯行は完璧だ。法の裁きを受けることなく、理解も誤解もされることなく、人の手の届かない場所に彼女とともに行ってやる。書き残すのは、刻むためだ。他社の記憶の中にではなく、死にゆく私自身の中に、誰にも触れられることのなかった己自身の痕跡を刻むためだけに書いている。
 ブログに投稿した記事はすべて非公開状態になっている。
 国内だけでも数千万のブログが漂うこのご時世、無名の個人の開設した非公開記事の内容を覗き見る者はいないだろう。
 このテキストは消え失せる。私の死後十年も経たないうちに消え失せる。人目に留まることもなく、記憶に残ることもなく、ブログを運営している企業の経営上の事情から、保存中のデータはすべて消え失せてしまうだろう。だから私は書き残す。これは自分に宛てた遺書だ。
 なお、万一の場合を考えて、テキスト内の固有名詞はすべて仮名に置き換えた。凶悪事件の捜査のために国内のウェブサービス上のデータファイルを一斉検索されることがないとは言い切れないからだ。
 私の彼女に対する愛は、誰にも触れさせはしない。
「腐女子の起こした凶悪事件」「現実と空想の区別がつかない痛いオタクの起こした事件」「メンヘラ腐女子の電波レズ」「愛ゆえのカニバリズム殺人」……そんな風に矮小化させるつもりなどないからこそ、私はすべての真実をこの世に置いていくのだ。

002| 私に関する覚え書き
 私の名前はユカ。ハンドルネームはアネモネ。一九八八年三月十四日生まれ、二十四歳。第一子にして長女。自分の名前は好きではない。
 両親の馴れ初めは知らない。一度、母に尋ねたことがあるが、答えようとはしなかった。二十歳の頃に戸籍謄本を見て、両親がデキ婚だったことを知った。何故母がいつも不機嫌だったのか、何故母がいつも私に当たり散らしていたのか、そのとき初めて合点した。ああ、私が出来たせいで結婚しなければならなかったのか、中絶してくれればよかったのに、と心の底から思った。
 きょうだいは弟と妹がひとりずつ。弟は重度の発達障害で、私や妹の目の前で平然と自慰行為に耽る。見られることによって興奮するのではなく、他社の存在を意識出来ないのではないかと思われる。弟と口を利くことはない。関わり合いになりたくない。
 一方、私と妹は幼い頃から仲が良く、小学生のときにはキスをした。しかし今は絶縁状態。両親に顧みられることのなかった妹は唯一の庇護者として私を求めただけだったのだろう、私の愛情を試すように無理難題を押しつけるようになった。一緒に出かけたいと言って私にバイトの休みを取らせ、いざ当日になると、妹は友達を呼びだして「なんでお姉ちゃんがついてくるの」と私を邪魔者扱いする。そんな理不尽なわがままに私がキレたからだった。
 話を私自身に戻す。小学校六年生のとき、将来の夢というものを抱けなくなった。夢だけでなく目標も、持つことが出来なくなった。何をしても無駄に思えた。ただ、金持ちにならなければいけない、という強迫観念だけがあった。十代の頃から風俗勤務、まるでホストにハマるようにネット上の有料ゲームにハマった。いわゆるネトゲの類いではなく、創作文芸系の同人サークルが主催するTRPGのオンラインセッションだった。
 TRPGとは、テーブルトーク・ロールプレイングゲームの略である。テレビゲームの中にRPGと呼ばれるジャンルがあるが、そのシナリオ進行役を人間が務め、ダイスを使った判定と参加者同士の会話によってゲームを進めていくものがTRPGと呼ばれている。それをネット上で行うのが、オンラインセッションというわけだ。
 乃木菜月とは、そのサイトで知り合った。

003| 私を殺した虚構
 同人サークル『ブランジァン』は創作文芸系では大手で、美少女ゲームで活躍する中堅ライターを擁しており、「オンラインセッションの結果を小説化して発表する」という創作手法を売りにしていた。意地悪な言い方をすれば、素人の作った厨二マインド溢れるオリキャラの大活躍(笑)をプロやセミプロライターが小説化してくれる、ということになる。参加希望者は多く、ゆえにオンラインセッションへの参加は有料となっていたが、それでも総参加者数は百人近くにのぼっていた。
 私が参加していたのは『死せる大地に遺されしもの』と題された長編シナリオ、TRPG用語で言うところのキャンペーンシナリオで、セッションは月に一度、全十回で完結するという形になっていた。「いかなる場合もセッションのやり直しは行わない」「誤字脱字の修正を除き、いかなる場合もリプレイ小説の書き直しは行わない」というルールだった。ちなみにリプレイ小説とは、セッションの内容を元に書いた小説のことを指す。
 私の作ったキャラクターは、小説内で大活躍した。
 特殊な地位、特殊なアイテム、恋人役のNPCを惜しみなく与えられ、事実上のヒロインのひとりとして扱われた。
 私のキャラの活躍は、匿名掲示板で中傷された。「あいつの活躍は贔屓だ。セッション時のロールプレイが優れているわけじゃない」「プレイヤーが女だから贔屓されてるだけだろ」「プレイヤーの顔、オフで見たけどブスだったよ。あんな女がいいって頭おかしいだろw」。悔しかった。だけど私はスルーした。たとえ贔屓だったとしても、贔屓されるのも実力のうちだ。私の他にも大勢の女性がセッションに参加している、なのに私の活躍だけが「女だから」と言われるなんて、言いがかりにもほどがある。それに容姿を評価されたくてTRPGをやってるわけじゃない。むしろ逆だ。現実の私に付随するすべてを棄てたくて参加している。
 私はひたすら虚構を求めた。虚構の中に現実を求めた。リアルの私は風俗嬢、高校時代に付き合ったDV男にされたことを汚物で上塗りするようにチンポをしごき、しゃぶる毎日。だけどオンラインセッションの場には、そんな私を知る者はいない。私はC-1シナリオのヒロイン、アウレーリアの生みの親。私にとっては虚構の方が、現実よりも重かった。
 私は朝も昼も夜もアウレーリアについて考えた。
 彼女はどんな家に生まれ、どんな風に生きてきたのか。彼女はどんな顔立ちで、どんな髪型や服装を好み、どんな価値観を持っているのか。何が好きで何が嫌いで、それは一体何故なのか。それらすべてを事細やかに想像しながら日々を過ごした。
 私にとってアウレーリアは、とてもリアルな存在だった。
 私は私自身よりもアウレーリアの幸せを願った。
 だからズレが気になりだした。C-1のGMであり、リプレイ小説の執筆者である星野雷人と私の抱くイメージの相違に苛立った。小説内で活躍するのは、彼のイメージするアウレーリアだ。性格も立ち居振る舞いも、私の中の彼女とは違う。「アウレーリア嬢は星野さんに愛されてますね」、そう誰かに言われるたびに、違う、彼が愛しているのは私の創ったアウレーリアじゃない、彼自身が創り上げたアウレーリアという名の別人、そんな思いが胸の奥からこみ上げるのを強く感じた。
 私の内部は卑屈になった。星野さんが愛しているのは私の創ったアウレーリアじゃない、彼自身の幻想によって理想化されたヒロインだ。他の参加者の目に留まるのも私の創ったアウレーリアじゃない、GMの幻想によって理想化された偶像だ。もしも私のロールプレイが彼のイメージを壊したら、アウレーリアは小説内では二度と活躍しないだろう。彼が担当しているのは、C-1シナリオだけじゃない。Cシナリオは五つあり、そのいずれにも主役として活躍しているキャラクターが存在する。アウレーリアに飽きてしまっても、代わりなんていくらでもいる。特にC-4シナリオの聖女シェラフィータの活躍は顕著で、光のシェラフィータと闇のアウレーリアは星野シナリオの二大ヒロイン、と参加者は口々にそんなことを言っていた。
 純真無垢なシェラフィータを、ウザいと感じるようになった。
 どうせ男はああいう女の方が好きに決まってる。星野さんの用意したNPCとの恋愛ネタに乗ろうとしない私の動かすアウレーリアなんかより、無垢で健気な美少女の受難を描いている方が楽しいに決まってる。だけど私にも勝機はある。シェラフィータを蹴落として星野シナリオのヒロインの座を確実なものにしたいなら、NPCとの恋愛ネタに積極的に乗ればいい。誘惑ならお手のものだ。いつも仕事でやっている。三次元の女に不慣れなコミュ障の男なんて、私の手に掛かったら、簡単に落ちるだろう。しかし私はしなかった。キャラクターらしさを優先し、星野さんの振ってきた恋愛ネタに乗らなかった。私にとってアウレーリアは、自分自身よりも愛すべき、優先すべき存在だ。己の虚栄心を満たすための釣り餌になんてしたくなかった。
 だけどリプレイ小説内では、アウレーリアは件のNPCに恋をしている、と記された。公式記録に書かれたのだから、それが公式設定だ。キャラが歪んでいくのを感じた。自分の一部が自分に無断で歪められるような感覚だった。負けるものか、と思った。愚痴なんて、文句なんて言いたくないと私は思った。汚したくなかったのだ。私自身より優先すべき架空の少女の生きる場所を、私自身の感情で汚すのは嫌だった。
 だから〝ゲームの参加者〟に徹した。
 ロールプレイとシナリオの謎解き、そのふたつだけでアウレーリアをこの世に存在させようとした。
 最終回のひとつ前、アウレーリアとシェラフィータの対面が小説に描かれた。それは実際のセッション中には起きなかった出来事だった。小説内でアウレーリアはシナリオの行方を左右する特殊アイテムを入手した。それは聖女シェラフィータが破壊しようとしていたもので、世界の命運を左右する危険な魔法のアイテムだった。そんな重要アイテムの使用許可が私に下りた。客観的には、活躍だった。しかし私はショックを受けた。小説内でのアウレーリアは、シェラフィータの引き立て役。実際のセッション中とはまったく異なる行動を取り、価値観に反した台詞を言い、性格に反した台詞を言い、純真無垢なシェラフィータの被虐的魅力を引き立てていた。活躍の機会をあげるから引き立て役を演じてね、と言われたような気分だった。
 悔しかった。ねじ曲げられてしまったものを取り戻したいと強く思った。あんな女の引き立て役にはなりたくないと強く思った。シェラフィータは口癖のように「私はみんなのために生きたい」「私には希望の光が見える。この世に生きるひとりひとりが希望をもたらす光なの」、そんな言葉を繰り返す。苛々する。私には不快でならなかった。何が希望だ、何が光だ、何がみんなのためなんだ。おまえの言う希望なんて、私にとっては絶望だ。聖女の希望と献身で闇に魅入られたアウレーリアの孤独な心も救われました、めでたしめでたし、そんな最終回なんて私は絶対認めない。彼女が身を捧げるのは都合のいい〝みんな〟だけ、彼女が賛美しているのは都合のいい〝希望〟だけ。私自身よりも大切な架空の少女アウレーリアを、こんな偽善者の引き立て役には絶対にしたくなかった。だけどそのためにすべきことは、文句を言うことじゃない。匿名掲示板に罵詈雑言を書き立てることでもない。ゲームのルールに則って、よりキャラクターらしく活躍する。それだけがアウレーリアをキャラとして生かす手段なのだ。だから私は最終回に特殊ルールを使用した。
 プレイヤーは原則としてひとつのシナリオにしか参加出来ない。たとえばC-1とC-2はいずれも星野さんの担当だが、シナリオ自体はまったく別個のものとして扱われる。だからアウレーリアとシェラフィータは同じセッションに参加出来ない。私の動かすアウレーリア、私の意思で動く彼女がシェラフィータのいるシナリオに関与することは出来ないのだ。だけど特殊ルールであるシナリオメイクシステムを使えば、ひとりのプレイヤーとキャラクターが複数のシナリオに影響を及ぼすことが可能だった。
 シナリオメイキングシステムは、セッション開始前に申請する。
 それは既存のシナリオとは大きく異なる行動を起こす際の特殊ルールで、その内容は複数のシナリオに影響を及ぼし、なおかつ新しい展開を生み出すものでなければならない。申請内容が採用されれば、GMの認めた期間中に限り、該当シナリオのセッションすべてに参加することが出来る。その代わり不採用となった場合は、その回のセッションに一切参加することが出来ず、リプレイ小説内においてもキャラクターは登場しない。採用か否かの判定は、全GMの合議制。それが特殊ルールであるシナリオメイキングシステムの全容だった。
 私の申請内容は、件の特殊アイテムを使用するというものだった。
 ただ使用するだけなら、通常のセッションで事足りる。星野GMだって、アウレーリアに使わせるために与えたに違いない。こだわったのは、場所だった。もっとも劇的な形でアイテムの効果が現れる場所。アウレーリアのキャラクター性をより強く生かせる場所。選択したのはAシナリオの舞台である、王都だった。アウレーリアに与えられたのは異界の扉を開く鍵。異界に住まう外なる神の、邪悪なしもべを召喚するもの。これまでのセッションの結果、アウレーリアは任意の場所に異界の門を開くための知識と技術を修得していた。アウレーリアは元々は王都に住まう貴族の娘で、物語的にもキャラクター的にも赴く場所はそこしかなかった。
 結果の通知はメールで届いた。
 差出人は星野GMではなく、すべてのシナリオを統括するサークルの代表者だった。
「あなたのシナリオを採用すれば、凄まじい展開になると思いました。最後まで悩みましたが、協議の結果、不採用となりました。最後の最後でごめんなさい」
 ふーん、そうなんだ。まるで他人事のように思った。そしてしばらく経ってから、謝るくらいなら何も言うな、未練なんて抱いたら余計に惨めな気分になる、そんな怒りがこみ上げた。涙が出たのは何時間も経ってからのことだった。私は最後の勝負に敗れた。私は自分の生み出したアウレーリアを生かせなかった。胸に大きな風穴が開いた。悲しくて悔しくて寂しくて仕方がない。それでも私は期待していた。最終回だから、今まで物語の中心にいたから、何らかの救済措置が与えられるかも知れない。同じシナリオのプレイヤーも、そんな風に言っていた。
 しかし実際にアップされた最終回の小説には、アウレーリアの姿はおろか名前ひとつ出ていなかった。アウレーリアなど最初から存在していなかったかのように、私のよく知るキャラクターが希望を語り、活躍する。まるで自分の死んだあとの世界を見ているような気分だ。自分ひとりいなくても、この世は何も変わらない。自分ひとりいなくても、この世は普通に存続する。そんな事実をまざまざと見せつけられた気分だった。
 或いは私は本当に死んでしまったのかも知れない。
 自分の胸や体の中が空洞になったような気分だ。
 自分の体を切り刻んでもそこには虚無があるだけで、血など出ないのではないか、そんな突飛な空想がどこまでもリアルに感じられた。
 私の涙は止まらない。たかがゲームでこんなに悲しむ私は頭がおかしいんだ、そんな自責の念がこみ上げ、ますます涙が止まらなくなる。たかがゲーム、たかが二次元、たかが非実在少女、私のこの苦しさを理解出来る人はいない。私は食欲を失った。丸一日食事を抜いても空腹感を感じない。眠気もまったく訪れず、後悔と自責の念に押し潰されそうだった。死のう。たかがゲームで死ぬ私。私の命はとても軽い。だから死ぬのがお似合いだ。そんなことを思いながら、生まれて初めて小説を書いた。アウレーリアが凌辱され、自殺するまでを描いた小説。それはただの猿真似だった。これまでに読んだ小説や、これまでに聴いた歌の歌詞、それらを見よう見まねで組み立て小説もどきに仕立てただけだ。だけど書かずにいられなかった。何かに取り憑かれたように、私は小説を書き続けた。
 それをブログにアップすると、絶賛のコメントが寄せられた。
 私はますます悲しくなった。こんな内容、書きたくなかった。こんな結末、ほしくなかった。だけど私はコメント欄に「ありがとうございます。書いててアウレーリアの可愛さに萌えました」とレスをした。

 アウレーリアの活躍は、ある意味、出来レースだった。
 キャンペーンシナリオ『死せる大地に遺されしもの』では、参加シナリオはキャラクターの職業(クラス)によって決定する。召還術師のアウレーリアは、本来ならばAシナリオかBシナリオに参加するはずだった。しかし振り分けられた先は、上級者向けのCシナリオだった。
 私はサークル『ブランジァン』のセッション参加は初めてだった。人数的な都合によりやむなくそちらに振り分けられた、などとは私は思えなかった。第一回のセッションでアウレーリアには恋人候補のNPCがあてがわれた。特殊アイテムも付与された。それらは私のロールプレイの不備をフォローするものだった。
 この事実から察するに、アウレーリアを気に入った星野さんがGM権限を濫用して自分のシナリオに割り当てた、と考えるのが妥当だろう。それはルールを無視したもので、アウレーリアの活躍を依怙贔屓だと主張する連中の言い分にも根拠はあると思っている。
 だからこそ私は疑った。だからこそ私は不安になった。だからこそ私はムキになった。星野さんがアウレーリアに飽きたのではないかと疑い、アウレーリアからシェラフィータに乗り換えたのではないかと苛立った。第一印象が良ければ良いほど、マイナス面が目につくものだ。星野さんはアウレーリアの最終回を書きたくなかった、アウレーリアなどどうでも良かった、だから私のシナリオメイクを不採用にしたのではないか、そんな疑念や不信感が常に私につきまとった。

004| 打ち上げオフ・一日目
 人がゴミのようだ、と思った。それほどまでに会議室に集う人は多かった。『死せる大地に遺されしもの』の打ち上げオフ一日目。不満げな顔をした冴えない男がやたら目立つ。他人に認めてもらえなくて拗ねた子供のような大人。そんな中でも笑っていられる私はまるで、透明人間。私の機嫌を窺う者と、私を内心敵視する者、彼らの様子を私は自分の殻の中から眺めていた。
 派手な女とすれ違う。まるでコスプレのようだと思った。ここが渋谷あたりなら、群衆にとけ込んでいただろう。だけどキモオタの集団の中で彼女は明らかに浮いていた。脱色した金の髪を頭の上でふたつに束ね、エナメル質の光沢をもつ赤いワンピースをまとっている。アニメや漫画やゲームなどの二次元キャラがやる分には可愛らしい格好だけど、現実でやられると、どうにも遊び人っぽさが抜けない。なんなんだ、この場違いな女は。胸元の名札を確認すると、『乃木菜月』と書かれていた。彼女があの、乃木菜月。私が最初に志望していたBシナリオの担当者。彼女の元に行けていれば、私は今、こんなひどい疎外感に苛まれてはいなかっただろう。でも、それは、私じゃない。私のこの疎外感を知らないなんて、私じゃない。
 自分が笑っていることが、自分でも不思議だった。
 作り笑いは得意な方だ。高校のときは嫌いな人しかいないグループに籍を置き、誰に何を言われても作り笑いで流していた。意地っ張りなクソ女に「ユカっていつも笑ってるよね。悩みなんてないでしょ」と嫌味を言われたくらいだから、私の笑顔は本当に、笑顔のように見えたのだろう。私にとって笑顔とは、ポーカーフェイスの一種だった。他人に知られたくないことを隠すための虚構だった。笑っている自分は嫌いだった。薄っぺらな嘘をついているようにしか思えなくて、常に違和感を抱えていた。しかしその一方で、誰に何を言われても笑える自分を凄いと思った。崩壊した家庭の中で母親に虐待されていることを、完全に隠しているのだから。
 だけど流石に今回ばかりは笑えないだろう、と思っていた。
 最終回の公開日から打ち上げオフの前日まで、その間約一ヶ月、私は毎日泣いて過ごした。泣きたかったわけではない。気付くと涙が溢れていた。自分の一挙手一投足を後悔せずにいられない。そんな自分の愚かしさを容認することすら出来ない。胸に大きな風穴が開いてしまったような気分で、何をしても楽しいと思えなくなっていた。まるで自分自身が死んでしまったかのようだった。だからきっと、打ち上げオフの当日にも泣いてしまうだろうと思った。何気ない会話の途中で私はいきなり泣いてしまい、場の空気を白けさせてしまうに違いないと思っていた。
 しかし辞退は出来なかった。最終回の一ヶ月前、私は打ち上げオフに対する参加の意思を表明し、参加費を全額振り込んでいた。いや、参加費なんてどうでもいい。私の勤務先の店、風俗店で一人客を取れば取り返せる金額だ。つまりはチンポ一本分の値段。チンポを一本手でしごけば、手に入る程度の金。だから金は理由じゃない。これはプライドの問題だった。最終回でコケたから打ち上げオフに来なかった、と思われるのが嫌なのだ。私はこの喪失感、この苦しみや辛さや痛みを、誰にも知られたくなかったのだ。
 打ち上げオフの会場で、私はただ笑っている。
「いやぁ、たまらなかったっすね。あの小説」
 女に縁のなさそうな男が引きつった笑い声をあげた。気持ち悪い。たまらなかったって何、オナニーしたっていうことか。風俗嬢の私のネタで、ただで抜いたってことか。ふざけるな。他人の不幸をネタにして、汚いチンポをしごきやがって。私は愛想笑いを浮かべた。こんな気持ちの悪い男に私の苦悩も抱える辛さも、何ひとつとして知られてたまるか。
「バッドエンドが好きなんです」と私は笑いながら言った。
「ひどいっすよぉ、アネモネさんは。アウレーリア様が可哀想っす」
 私を非難するキモオタの目尻は嬉しげに垂れ下がっている。
「君さ」出し抜けに星野GMが話に割り込んできた。
「うちのサークルに来ない?」
 おお、と周囲がどよめいた。
「ブログの小説を読んだけど、君はGMに向いている。シチュエーションの作り方とか人物描写とか、すごくうまいんだよ」
 私は泣きそうになった。やめて、私は誰かに認めてほしくてあんな小説を書いたんじゃない。あんな結末、ほしくなかった。あんな小説、書きたくなかった。ああいう結末はどうかと思う、と否定してほしかった。私を評価するのではなく、アウレーリアにきちんとした結末を与えてほしかった。
 そんなことは言えなかった。私はただ笑っていた。
 私の隣に立つデブスは、不機嫌そうな表情でむっつり押し黙っている。私は軽い違和感を覚えた。彼女はネットでは饒舌だ。ブログには長文記事をアップ、なりきり系の発言をオフィシャル掲示板に頻繁に書き込み、他の参加者との交流も積極的に行っている。彼女はこの界隈では有名な人だった。胸元の名札には古臭いタッチのイラストと「HN:如月凛」、そして「シェラフィータ」の手書き文字。
 名札は主催サークル側から配布されたものだった。
 打ち上げオフの参加者は、名札の中の白い紙にハンドルネームとキャラクター名を明記しなければならなかった。
 しかし私の名札には、ハンドルネームしか記されていない。
 私は自分のつける名札に「アウレーリア」と書けなかった。

005| 打ち上げオフ・二日目
 打ち上げオフは一泊二日。団体用の寝室で男女別に休んだあと、午前十時にチェックアウト、その後はシナリオ別に分かれて二次会へとなだれ込む。Cシナリオの女性陣で打ち上げオフに参加したのは私と如月凛だけで、私はおのずと如月凛に寄り添うようになっていた。
 私は仕事以外では男と話をしたくなかった。こちらに利益があるならともかく、何の利用価値もないキモオタ相手に脳細胞を使うのは嫌だった。
 如月凛は終始無言で、愛想笑いひとつしない。
 ネットではあんなに饒舌なのに。もしかしてネット弁慶ってヤツ? リアルでは何も言えない人が、ネットをそのはけ口に利用しているだけってケース? そんな憶測がツボに入り、私は彼女に話しかけた。女子は自分よりも不細工な子を引き立て役に使うというが、救いがたい性格ブスは己の醜さを隠すために分かりやすい性格ブスと友達ゴッコをしたがるという仮説を私は提唱したい。ソースは私。私は性格ブスを好む。不満顔の美人よりも笑っている私の方が真人間に見えるからだ。
 もっともこの如月凛は、心身共にデブスだが。
「リプレイ小説で絡みがあって嬉しかったです」と私は彼女に話しかけた。自分のキャラクター名は、既に口頭で告げていた。「私、シェラフィータさんの活躍をいつも見てて。凄い人だなって思っていたので」
「私、アウレーリアって何してる人か知らなくて。リプレイ小説で絡みがあって、え、誰これ、みたいな」
 悪意を感じた。彼女はブログに書いていた。自分の参加シナリオだけでなくすべてのシナリオのリプレイを読んだ上で演じている、と。にも拘わらず、この台詞。仮にC-1シナリオのリプレイを読んでいなかったのだとしても、彼女の口調は侮蔑的で、私に対する悪意を感じた。
 だけど私は殺意を隠す。如月凛の冗談にウケているフリをする。
 私の後ろを歩く森山が鼻で笑うのが聞こえた。
 森山はアウレーリアの従者にあたるラヴィンのプレイヤーだった。お笑い芸人出身の若手タレントによく似た顔で、オタクっぽさを感じさせない普通っぽい男だった。森山のことは、好きではなかった。彼は私を褒め讃えるが、それらはどこか作意的で、油断のならないものを感じる。
 私は森山をガン無視し、如月凛におべっかを使った。
「如月さんは別のシナリオでは悪役をなさっていたそうですね」
「あー。悪役は癖になるっていうか」
「演じ分けが凄いと思いました」
「あー。よく言われます。同一人物とは思えない、って。こっちの悪役の方が本性だろ、って。シェラフィータのキャラ設定をブログにアップしたときなんて、誰だよこの美少女はってスカイプで言われまくって」
 私は笑った。如月凛の自分語りを楽しんでいるフリをした。心身共にデブスなくせにどこまでも自分中心な彼女も、性格ブスにおべっかを使い自分の弱みを隠す私も、どちらも滑稽で仕方ない。私は相手に話を合わせ、如月凛のファンを演じた。
「そういえば如月さんってクトゥルー神話がお好きだそうですね」
「あー。はい」
「私も好きなんです」
「そう」
 おまえの好みなんて興味ない、と言わんばかりの仏頂面。
 デブスのくせに、コミュ障のくせに、自分中心の話題じゃないと気が済まないのだろうか。嫌な女。自分の創った美少女が狭いコミュニティで有名になった、たかがその程度のことで、自分まで偉くなったと勘違いするなんて。キャラクターとプレイヤーを区別する、それはTRPGの鉄則だ。いくらキャラが活躍しても、いくらキャラが愛されても、おまえがデブスでコミュ障だという事実は決して変わらない。そう胸中で罵ると、他人事では済まされない危機感が間近に迫ってきた。最終回のシナリオメイクがもしも採用されていたら、私も調子に乗っただろう。私も如月凛のような勘違いをしていただろう。如月凛は、もうひとりの私だ。私は彼女を笑えない。彼女を笑う資格などない。

 中華料理店で昼食をとり、カラオケボックスで三次会。時間的な都合から帰っていく者も多く、カラオケボックスに着いた頃には人は疎らになっていた。
 Cシナリオの主役を演じた如月凛に寄り添う私は常に一団の中心で、結果として星野GMの近くを歩く形になった。今日は打ち上げオフなのだ、担当GMにシナリオの裏話を訊くことが許されている。だけど私は星野さんに話しかけることが出来なかった。訊きたくなかったわけではない。逆だ。少しでもいい、なんでもいい、失われた物語の痕跡に触れたかった。そのために私はここにいる。プライドを保ちたいだけならば、何故三次会まで残るだろう。
 星野さんは他の参加者の質問に小声で答えている。その内容は聞き取れない。星野さんの方から私に話しかけてくることはなく、私はシナリオメイキングシステムのルールを思い出しながら──「採用か否かの判定は、全GMの合議制」──非採用を主張したのは星野さんだったのかも知れない、そんな疑念を隠すために楽しんでいるフリをする。
 カラオケの席で私は英語の歌を選択した。
 歌詞を要約すると「あなたと一緒にいるときは、あなたの抱く幻想によって私はとても苦しんだ。だけどあなたが立ち去った今、私はまた孤独になった」、我ながら正直すぎると思うけど、誰も何も言わなかったから、誰も歌詞の内容なんて、或いは私の本心なんて、気にしていなかったんだと思う。
 ネタ曲ガチ曲入り乱れ、カラオケは盛り上がった。だけど私は星野さんの貧乏揺すりが気になった。高校生の頃、私には貧乏揺すりをする癖があった。他にやりたいことがあるのに我慢しなければならないとき、言わなければいけないことがあるのに言い出せないときに、私は決まって貧乏揺すりがやめられなくなっていた。だから気になったのだ。隅っこの席に腰掛けた星野さんの隣は私で、だから最終回について、彼は私に何か強く伝えたいことがあるのだと思った。しかしその一方で、それはただの期待だよ、根拠のない期待だよ、未だに期待を捨てられない私はどれだけ甘いんだ、そんな自己ツッコミに私はあっさり敗北する。
 時間はあっという間に過ぎ、残り時間が十分だとフロントからコールが入った。「あと一、二曲か」と星野さんが呟いた。誰かが一曲入れたあとで星野さんがもう一曲入れた。曲名を見て「あ」と思った。それはアウレーリアと件のNPCのテーマ曲にいいのでは、と他の参加者がかつてオフィシャル掲示板に書き込んでいた曲名だった。
 だけどその曲が始まる前に、タイムリミットが来てしまった。
 そのイントロを聴くことすらなく、カラオケボックスを後にした。

 解散し、ひとりになると、視界が急に涙で滲んだ。
 終わった。これで本当に終わってしまった。
 帰りの電車に揺られながら、私は涙を流していた。
 もはや人目は気にならなかった。誰かに変に思われたらだとか、知っている人に見られたらだとか、そんな常識的な視点はとっくに消えてしまっていた。私の苦痛、私の悲しみ、私の辛さを知る者は、この世のどこにも存在しない。私という人間は、存在しないも同然だ。私の辛さは誰にも見えない。私は透明人間だ。胸にあいた空洞が膨れ上がっていくのを感じる。
 わずかに残った私の理性が、車内にひしめく人々の無関心に感謝していた。

006| 私の日常
 目覚めると、見慣れた天井が視界を覆った。自分が未だに生きている、その事実に落胆した。私は今日も生きなければならない。どれほど長い年月を生きても、どれほどの偉業を成し遂げても、私のもっとも欲しいもの、失われてしまったものを取り戻すことは決して出来ない。なのにどうして私は今日も生きなければならないのだろう。
 目に見えない空洞が、胸にあいているのを感じる。
 ベッドの上で身を起こす自分自身の体の動きが、見えない糸に操られる人形のようにしか思えない。
 自分の意思、自分の心、そういうものの存在を私は信じられなくなった。私は憎みすぎたのだ。聖女シェラフィータと彼女の仲間、私の居場所を奪った者たち、奴らが賛美するものを私は片っ端から憎んだ。連中は言う。「心を強く持ち、己の勝利を信じよう」「揺るぎない信念こそが、最大の武器だ」「信じる心があれば、出来ないことなんてない」「みんなで力を合わせよう。みんなで幸せになろう」……。彼らの吐き出す綺麗事を、私はすべて否定した。心を強く持つって、何。勝利を信じるって、何。揺るぎない信念だとか、それってただの狂信でしょ、自分本位の盲信でしょ。そんなものを美化した挙げ句、ありがたがって押しつけるなんて気持ち悪いです死んでください。そもそも心を強く持った結果が今の私なんですけど。そもそも心って、何。そんなものがどこにあるの。私の体を切り刻んでも心なんて見つからない。そういうものを絶対視してヒーローゴッコするなんて、あなたたち電波すぎませんか。みんなで力を合わせようって、単なる数の暴力を美化して陶酔してるだけだし。みんなで幸せになろうだとか、いったい何様のつもりですか、あなたたちの綺麗事で万人を救えると思わないでください。あなたたちの言う〝みんな〟には、この私は入っていないんだ。
 そうやって否定し続けた結果、意思や心の存在を私は信じられなくなった。憎い奴らは決して消えない。ただ私の疎外感が倍増しただけだった。

 重労働をしたわけでもないのに、体が鉛のように重い。
 いつものように昼前に起きて、朝食をとらずに出勤する。母は顔をしかめている。でももう何も言わなくなった。そんなに私のことが嫌なら、私の顔を見るだけで不機嫌になるくらいなら、ひとり暮らしをさせればいいのに、母は未だに「女の子は結婚するまで自宅で花嫁修業をするものだ」「ひとり暮らしをしたいならおまえを育てるためにかかった金を全額返せ」などと時代錯誤な価値観を振りかざす。だから私は風俗勤務。最初は「絶対に稼いでやる」みたいな強い意気込みがあったけど、今はもう、ただの惰性だ。夢も目標も目的もなく、ひとり暮らしをすることにもはや意味は見いだせず、ただ目先の消費のためにチンポをしごき、しゃぶる毎日。
 駅のホームで電車を待つとき、緊張するようになった。
 自分が今にもホームの端から線路に飛び込んでしまいそうで。
 死ぬのが怖いわけではない。自分自身が自分の制御を離れてしまうのが怖いのだ。意思や心の存在を信じられなくなったことと、何か関係があるのだろうか。ホームに滑り込む電車を見るたび、自殺道具が私を呼んでる、早く楽になれと言ってる、そんな思いに戦慄する。この世は凶器に満ちている。たかかゲーム、たかが二次元、たかが非実在少女でも私をここまで追い込めるのだ。規制なんてしても無駄。この世のすべてが人を殺す。この世のすべてが私を殺す。聖女シェラフィータと彼女の仲間の台詞を私はまた、思い出す。「生きてるって素晴らしい」。苛々する。生きるというのは、綱渡りだ。少しでも足を踏み外せば針の山に転落し、苦しみながら死んでいく。素晴らしいわけがない。
 この世は凶器に満ちている。この世のすべてが私を殺す。わずかに残った客観性が「被害妄想だ」と私を責める。「そんな風にしか考えられないから、おまえはこんな思いをするんだ。キャラを曲げられただとか都合のいい演出道具にされただとか、そんなのみんな被害妄想だ。被害妄想が動機だから、間違った観念が動機だから、あんな結末しか得られないんだ」。私自身の脳すら凶器。私が私を殺そうとする。

007| 真人間ごっこ
 スカイプにログインすると、森山がオンラインになっていた。
 私はいつもオフライン状態。実際にはインしていても他人のアカウント上ではオフラインと表示されるよう、設定している。嫌なのだ。自分の動きを把握されるのが。チャットしたい気分のときだけインする、という手もあるが、そんなけじめを己に課したら私はログインしなくなる。人付き合いが嫌いだからだ。そもそもこのスカイプはTRPG関係専用で、リストに表示されるのは付き合いで登録したプレイヤーばかり。アウレーリアの活躍に対して僻みっぽい発言を繰り返していた奴もいる。彼らとチャットしたい気分になど、私にはなれそうにない。
 それでも私はログインする。星野GMをはじめとしたサークルの面々は、癒着防止の観点から、参加者との個人的な交流を禁止されていた。スカイプにインしてみたところで、得られなかった最終回の断片にすら触れられない。それを知るはずの者は、スカイプ上にはいないのだ。なのにログインしてしまう。得られるものなど何もないのに、森山の名前をクリックし、彼だけに見えるようオンライン状況を通知する。
「アネモネさん。やっぱり星野さんに頼みましょうよ。アウレーリア嬢の最終回を書いてほしいって。個人的に頼む分には問題ありませんから」
 森山がこの話をするのは、いったい何度目になるだろう。彼の無神経な発言に、私はいつも泣きたくなる。スカイプで繋がれば、彼は決まってこの話。分かりきっているはずなのに、私はログインしてしまう。
「もう終わったことです。星野さんだって迷惑します」
「終わってなんかいません。アネモネさんの中ではまだ終わっていないでしょう。どうしてそんなことを言うんですか」
「そういうルールですから。リスクとリターンを承知の上で、シナリオメイクをしたんです」
「僕だって見たいんです。アウレーリア嬢の最終回を」
 嘘だ。私は激しい怒りを覚えた。森山が見たいのは、星野さんの手によるアウレーリアの〝公式最終回〟などではない。自分の創ったキャラクター、ラヴィンのハッピーエンドだ。彼はショックを受けていた。アウレーリアとの結末をラヴィンが得られないことに対して。彼はただ、アウレーリアをモノにしてオナニーしたいだけなのだ。自らの欲望を満たすために私の中に土足で踏み込み、私の苦痛を利用する。その欺瞞が、その偽善が、私はどうしても許せない。
「とにかく、この話はやめませんか」
「いいんですか、それで」
「私は星野さんに最終回を頼むつもりはありません」
「星野さんだって書きたいはずです。アウレーリア嬢の最終回を。あれだけ愛情を込めたキャラです、ひとりの物書きとして、最後まで書きたかったはずです。でもオフィシャル側の人間という立場上、自分からそれを言うことは出来ないんですよ。だからあなたが頼むしかない。頼みにくいなら、同人誌のゲスト原稿、という口実にすればいい。そういう依頼方法なら、サークル内で問題になることもありませんから」
 私は声を殺して泣いた。テキストチャットだったから、私が泣いていることなんて知られるはずはないのだけど、それでも本音が漏れないように私は奥歯を噛みしめた。彼の言うとおりだとしたら、どれほど幸せなことだろう。でも、もしも違っていたら。私が思っているとおり、星野さんにとってアウレーリアは単なる演出道具でしかなく、最終回を書かされるなんて迷惑でしかなかったら。勇気を出して頼んでも、拒絶されるかも知れない。私はもう、これ以上、傷つきたくなかった。
「嫌です。頼めません。私だったら迷惑です」
 おまえの無神経さは迷惑だ、と言外に伝えたつもりだった。
 しかし森山は懲りない。「わかりました」と発言したあと、「ところでアウレーリア嬢は、ラヴィンがもしもこういうことを言えばどんな反応を返しますか」といった部類の質問を次々とテキストチャットに書き込む。ラヴィンとアウレーリアのハッピーエンドを脳内で創り上げるための質問だった。苛々する。私は諦めたのに、どうしておまえは諦めない。私は意地悪な答えを返す。彼の脳内ハッピーエンドを阻害するような台詞を返す。森山はへこたれない。「アネモネさんはひどいなぁw なんつーかもう、男の被虐願望を的確に突いてくるっていうかw」。彼のそんな発言に、私の中で何かが閉じる。この余裕は何なんだ。こいつに本音を漏らしてはいけない。こいつはどうにも信用出来ない。
 同じようなやりとりを毎晩毎晩繰り返す。
 結論はいつも同じだった。状況は何も変わらない。それでも不毛なコミュニケーションごっこを私は未だにやめられない。その日は朝の五時までずっと、文字で会話の真似事をした。

008| 惰性で生きる、そんな人生に保険をかける
 創作文芸サークル『ブランジァン』主催のオンラインセッション、本年度キャンペーンシナリオ『外なる神々の囁き』、その基本システムとキャラクターメイキングに関するルールがオフィシャルサイト上で発表された。
 参加したいと思えない。オンラインセッションに参加している自分の姿を想像すると、胸が張り裂けるような喪失感に圧倒される。しかし私はキャラを創る。参加費は既に振り込んでいた。最終回よりずっと前、あの喪失を知る前に、私は四キャラクター分の参加費を一括で納入した。金さえ払えば複数のキャラクターを作成出来るし、複数のシナリオに参加することだって許可される。アウレーリアの扱いに不満を感じていた私は、まるで保険をかけるように、チンポをしごいて得た金で四キャラクター分の権利を買った。
 参加を辞退することは出来た。「『基本システムとキャラクターメイキングに関するルール』が発表された日から一週間以内であれば、クーリングオフが適用される」と公式サイトに明記されている。だけど辞退は出来なかった。傷ついていることを誰にも知られたくなかった。たかがゲーム、たかが二次元、たかが非実在少女。存在しないものによって己の存在を脅かされる私のこの滑稽さを、誰にも知られたくなかった。
 私はブログを新たに立ち上げ、『外なる神々の囁き』用に作成したキャラクター設定をアップした。
 ハンドルネームは変えなかった。消えた、と思われたくなかったのだ。とはいえアウレーリアに関する記事は、読み返すことすら出来なかった。ブログの記事のタイトルが視界に入ってくるのも苦痛で、しかし削除することは私のプライドが許さない。だから「ゲームごとにブログを分けることにしました。その方が目当ての記事を探しやすくていいと思います」などともっともらしい口実をぶち上げ、私は過去を分断した。
 消してしまいたいわけではない。ただ、触れてほしくないだけだ。

009| 新キャンペーン用キャラクター設定
【名前】リアーヌ・ブランシェ
【年齢】十八 【性別】女 【種族】人間
【キャラクタークラス】神官戦士
【外見的特徴】細い、冷たそう、清楚
【内面的特徴】神を信じていない、サディスト、マゾヒスト
【髪色】ライトブロンド 【髪型】癖のないロングヘア
【瞳】アイスブルー 【肌】透けるように白い
【経歴】英才教育を受けた、信仰を捨てた、殺人に忌避感がない
【好きなもの・こと】武器(愛剣)の手入れをすること
【嫌いなもの・こと】人々の幻想、家族の絆、人の想い
【戦闘技能】剣術、神聖魔法
【一般技能】礼拝、宗教知識、拷問術
【初期能力値】筋力:3 敏捷:5 知力:6 魅力:6
【追加設定】神官戦士として英才教育を受けるが、神の存在や信仰の在り方に疑問を抱いて出奔。この世界の構造や、世界として認知されている現象の外側に何があるのかを解き明かすために、傭兵を生業としながら各地を旅している。神と呼ぶべき存在が真にこの世にいるのならその手で殺されたいと思っている。


【名前】アリス・ウォーターリリー
【年齢】十九 【性別】女 【種族】翼人
【キャラクタークラス】戦乙女
【外見的特徴】可憐、優しそう、巨乳
【内面的特徴】依存癖がある、収集癖がある、悪を許さない
【髪色】銀 【髪型】癖毛、セミロング、ツインテール
【瞳】紫 【肌】色白だが血色が良い
【経歴】生死の境をさまよった、殺人に忌避感がない、私的な理由で人を殺した
【好きなもの・こと】人々の希望、人々の笑顔、星を見上げること
【嫌いなもの・こと】争いや諍い、魔物
【戦闘技能】槍術、神聖魔法
【一般技能】占星術、
【初期能力値】筋力:9 敏捷:3 知力:2 魅力:6
【追加設定】薬物依存症の猟奇殺人者。口癖は「希望の星の囁きが聞こえる」だが、その囁きとやらが違法薬物による幻聴であることは言うまでもない。正義の使徒を気取り、無実の人間を都合のいい悪に仕立て上げて虐殺、犠牲者の体の一部をトロフィーとして収集する。命乞いをする犠牲者の恐怖に引きつった笑顔が何より大好き。


※種族、キャラクタークラス、外見的特徴、内面的特徴、経歴、技能は一覧表に記載されたものの中から選択する。その選択内容によって、初期能力値(上限9、下限2、20ポイントを各項目に割り振る)に若干の修正が入る。「魅力」はルックスの善し悪しだけでなくカリスマ性の有無などを含む能力値。初期設定の内容によって、生命力(HP)と精神力(MP)が決定する。

010| 蜘蛛の糸
 スカイプにログインすると、森山からメッセージが届いていた。
「ブログ拝見しました。新キャンペーン用のキャラクターも素晴らしいですね。お互いのキャラクター同士で兄弟姉妹や恋人といった関連設定を作りませんか?」
 恋人。その一言でげんなりした。まだ懲りないのか、こいつは。まだ私の創ったキャラクターでオナニーするつもりなのか。私は嫌だ。森山はどうにも信用ならない。あんな奴の妄想で自分の持ちキャラを汚されたくない。
 そんなことを思いながら、彼の提案を受け入れた。
 刺激したくなかったのだ。彼のあの無神経さが敵意や悪意に変わったら。そう思うと、怖かった。私にとって森山は爆弾同然の存在だった。アウレーリアに関することでこれ以上苦しみたくはない。アウレーリアの一件を延々と蒸し返されるくらいなら、新しいキャラクターを生け贄に捧げた方がまだマシだ。関係性なんて、どうとでもなる。「あなたのキャラクターは私のキャラクターを愛しているとのことですけど、私のキャラクターは他人を愛することが出来ないので、実質的には片思いですね」と言ったところでキレるような相手ではないだろう。人間的には信用ならない、だけど創作者としての森山の姿勢だけは信用することが出来た。
 私の創った四人のキャラクターのうち森山がもっとも気に入ったのは、エリート生まれの鬼畜美少女リアーヌだった。リアーヌの弟役を、彼は演じたいという。「僕のキャラは重度のシスコンなので」。キャラクターの名前よりも先に、森山はそれを私に伝えた。リアーヌが弟の想いに応えるなんて有り得ない、そう答えても森山は「それでもいい」と即答する。「相思相愛なんてつまらない、痛々しい方がいい、折角アネモネさんと組むんだから他では出来ないことがしたい」。それが森山の答えだった。
 何の感情もわき起こらない。欲しいものは、ここにはない。
「やっぱり星野さんに頼みましょうよ」
 生け贄を捧げたのに、森野はなおも蒸し返す。
「アネモネさんが傷ついていることは、キャラを見れば分かります」
 イラッときた。無神経な奴だな。傷ついている、と思うならそっとしとけよ。分かります、とか理解者ヅラなんてされたくない。理解者アピールをしてる時点で私のことなんて何も分かってないってことだから。
「アリスってキャラ。明らかに悪意があるでしょ」
 悪意だなんて、心外だ。軽いブラックユーモアなのに。聖女シェラフィータとその仲間を軽く皮肉っただけなのに。
「あれ、シェラフィータがモデルですよね。シェラフィータに対するどす黒い悪意を感じるんですけど」
「気のせいですよ。ありがちなお花畑キャラを皮肉っただけです」
「そういう発想になる時点で、傷ついている、ってことなんです」
「私は楽しんで創りました。アリスってキャラを」
「アネモネさん。星野さんに頼みましょうよ、個人的に最終回を書いてもらえるように。何度も言ってますけど、あのシナリオメイクは最終回でなければ確実に通る内容だった。不採用になった理由は、最終回だから。採用すればバッドエンドになるから。バッドエンドは参加者離れを招くから。つまり商業主義に反するから不採用にしたんだ。判定基準をねじ曲げたのはオフィシャル側です。ゲーム性を売りにしながら最後にそれを放棄したのはオフィシャル側なんです。理不尽じゃないですか。あなたが遠慮する必要なんてないんだ」
「遠慮とかじゃないです」
 私は傷つきたくないだけだ。やらないのは自分のためだ。動かないことが最良の選択、だから私は諦めた、だから私は受け入れたのだ。自分のために決めたことだ。他人に口出しされたくない。
 そんなことを思いながら、自分が未だに森山とのコンタクトを断ち切れない理由を理解する。彼は私の苦しみが理不尽なものだと主張している。誰にも理解されることのない私のこの喪失感が、理不尽なものだと主張している。だからなのだ。彼のエゴは私には不快だ。彼のことは信用出来ない。だけど私のこの苦しみを理不尽なものだと言い切ってくれる彼のその発言に、信用出来ない男が語る嘘かも知れない言い分に、私はすがっていたいのだ。

011| 臆病者の叩き売り人生
 新しく入った店は客の入りが悪かった。フリー客がひとりも来ない日が週に何度もあるくらい、新人にとって厳しい店だ。あの店を解雇されたのは痛かった、と私は暗い店内で思う。オンラインセッションに参加するようになってから移った、手だけで稼げる人気店。
 初めて小説を書いたあのとき、私は食事も睡眠も忘れて自室に引きこもっていた。キーボードを弾くこと、脳の中に鬱積する言語を吐き出し続けること、それだけが唯一の、現実に抗うすべだった。私は息をするようにただ小説を書き続けた。言葉を知らない私にとって、試行錯誤の連続だった。書き上がったときには既に、一週間が経過していた。
 ブログに小説をアップすると、そろそろ仕事に戻らなきゃ、そんな気持ちがわいてきた。風俗嬢になったのは、家が貧乏だったのと、男と付き合うくらいなら風俗で働いた方がマシ、そう考えていたからだった。つまり金が欲しかったのだ。搾取する側になりたかったのだ。「お金で買えないものもある。幸せはお金では買えない」、そんなことを言う母を私はいつも軽蔑していた。欺瞞にしか思えなかったのだ。母はいつも不機嫌で、子供に当たり散らしていた。小学生のとき、私立の名門進学校を受験しろと私は親に指示された。私は親に言われるまま、受験勉強に勤しんだ。帰宅するとすぐに塾、土日もテストや塾の課題で友達と遊ぶ時間はない。だけど努力の甲斐あって模擬テストでは好成績を修め、合格は確実と塾講師から太鼓判を押されるまでになっていた。しかし受験間際になって、「うちにはお金がないから私立の進学校には行かせられない」と親に言われた。お金がない、小学生の私にはどうすることも出来ない理由で私の努力は踏みにじられた。両親は一言も謝らなかった。私は親に抗議したが、その都度激しく罵られ、壁に叩きつけられた。私は貧乏と両親を憎んだ。幸せはお金では買えないなんて嘘だ、ただの現実逃避だ。少なくともお金があれば私の努力は報われたし、母だって、ここまで不機嫌ではなかっただろう。
 私はお金が欲しかった。だから風俗で働いた。
 だけどアウレーリアの一件によって、私の価値観に亀裂が走った。
 いくら風俗で稼いでも、私のもっとも欲したもの、アウレーリアの成功は決して手に入らない。莫大な原稿料を支払えば、星野さんは一本くらいは書いてくれるかも知れないけど、一度損なわれたものが元に戻るわけじゃない。私の今までの人生は、いったい何だったんだろう。私が信じてきたものは、いったい何だったんだろう。そんな疑問を覚えながらも、出勤の意思を伝えるべく店に電話を入れた私を待っていたのは「もう来なくていい」の一言だった。
 風俗勤めから足を洗おう、なんてことは思わなかった。
 何故なら、勤務内容が苦痛からだ。
 嫌いなこと、不快なこと、気持ち悪いことだからだ。
 それが嫌なことであると最初から承知していれば、たとえ辛い思いをしてもそれほど深手にならずに済む。小学生のときのことや、アウレーリアの一件のように、何ヶ月も引きずって涙を流すこともない。深手になるのは、好きだからだ。そこに希望を抱いたからだ。だから私はこだわりがなければ、なるべく嫌なものを選ぶ。そうすることが私にとって、防衛であり、抵抗だった。

012| 買い物依存症の実態
 店先のショーケースの中に人形が並んでいた。人形は一体ごとに紙の箱に入っていて、いかにも商品、といった感じで購入客を待っている。ファッションドールと呼ばれる類いの、大人に人気の着せかえ人形。気づくと足を止めていた。埋もれるように箱詰めにされた一体の人形に、視線が吸い寄せられていた。
「ブライス。お好きですか?」と店長らしき男が不意に私に声をかけてきた。
「いえ。名前しか知りません。可愛いですね」
「可愛いでしょ」と男は嬉しそうに笑った。
「これは『ユニバーシティオブラブ』です。余所ではプレミア価格になっているけど、うちはメーカー希望小売り価格のままなので。奥にも色々あるので見ていってください」
 笑顔でそう言いながら、店長は店の奥に消えた。
 商売が上手そうじゃないな、そんなことを思いながら店内を見回すと、ファッションドールだけでなくガンダムのプラモデルやアニメキャラのフィギュアなどが並んでいるのが見えた。ああ、商売をしたいんじゃなくて、好きなものを売っているんだ。何故か胸が痛かった。先ほど店長が『ユニバーシティオブラブ』と呼んだ人形を私はずっと眺めていた。
 アウレーリアみたいだ、と思ったのだ。
 ウェーブのかかった長い金髪、切り揃えた前髪、翡翠色の淡い瞳。ただ可愛いだけでなくどこか不気味な表情も、アウレーリアっぽいと思った。暗い原色の服装も、どこか彼女を彷彿とさせる。
「これ、いたたげますか」
 気づくとお金を払っていた。あの日以降、アウレーリアっぽいものを見つけると買わずにいられなくなっていた。今日一日で使った金は十万円を超えている。ファッションドール、高級ランジェリー、アクセサリー。どれも「アウレーリアっぽい」という理由で購入したものだった。ゲームセンターの占いマシンにも五千円以上使っていた。アウレーリアになりきって質問に答えたり、アウレーリアと関連キャラで相性占いをしてみたり。その結果をテキストファイルに起こし、私はブログにアップした。切り離したはずの古いブログに。無断転載ではなく引用の範疇です、と言い訳が出来るよう、楽しげなツッコミを長々と書き添えた。作業に没頭していると、アウレーリアにも未来はある、そんな錯覚に陥った。だけど夢はすぐに醒める。件の小説エントリに新着コメントがついていたけど、私は確認しなかった。
 今の店は客が少ない。こんなことをしていては、お金なんて貯まらない。なのに買い物をやめられない。今の私はアウレーリアっぽいものをただ買い集めるためだけに、体を売って生きている。

013| メンヘラオタク女の安眠法
 また、やってしまった。またオナニー中に寝てしまった。
 朝、目を覚ますと、ごりっと背中に何かが当たった。布団の中に異物があった。慌てて確認するとそれは、小型の電動マッサージ器だった。百円ショップで買ったもの。オナニーに使っているものだ。使用時以外は引き出しの奥に隠しているはずなのに、私はそんな後始末すらもせずに眠ってしまったようだった。
 性欲は、あの日を機に失せた。食欲や睡眠欲とともに、私の中から消えてしまった。それでもオナニーをしてしまうのは、眠れないのが辛いからだ。布団に入ると後悔する。もしもあのときああしていれば、もしもあのときこうしていれば、そんな思いばかりが頭に浮かんで私は眠ることが出来ない。だから意識を飛ばすために道具を使ってオナニーする。性欲自体を失っても、機械的な振動をクリトリスに当て続け、ほんの一瞬、あることを想像すれば簡単にイケることを知った。イケば体が弛緩して、そのまま眠りに落ちていく。どれほど気分が落ち込んでいても、たとえ涙を流していても、自責の念が強すぎて性感自体を得られなくても、ほんの一瞬、グロテスクな触手に凌辱されるシェラフィータの姿を想像すれば、私の体はあっという間に絶頂を迎えてしまうのだ。
 私にとってオナニーは、睡眠薬の代わりだった。
 シェラフィータの汚辱だけが、私に安らぎをもたらした。

014| 終わりは何度も訪れる
 サークル『ブランジァン』のオフィシャルサイト上で、『死せる大地に遺されしもの』の各シナリオのMVPが発表された。CシナリオのMVPは聖女シェラフィータだった。「Cシナリオの展開にもっとも貢献した人物」としてイラスト付きで紹介され、「彼女がいなければCシナリオに救いはなかっただろう。聖女シェラフィータはこれからも人々の希望であり続けるに違いない」──そのテキストを執筆したのは、星野GMだった。
 終わった。『死せる大地に遺されしもの』という作品は、これで完全に終了だ。アウレーリアのその後について、オフィシャルスタッフが語る機会はもう二度と訪れない。私は声を殺して泣いた。泣きながら、私は自分が今日までずっと甘い期待を捨て切れず、何らかの救済措置を待っていたことに気づいた。ショックを受けるということは、MVPに選ばれるのがアウレーリアかも知れないと思っていたということだ。私はなんて甘いんだろう。脱落者ごときがMVPに選ばれるはずがないのに。
 でも、甘かろうがなんだろうが、私はやっぱり期待していた。
 短くていい、社交辞令でいい、星野GMの手で書かれた最終回が欲しかった。
 それが嘘偽りのない本心だ。ずっとそう言いたかった。
 森山の言葉を拒絶したのは、それがあまりにも完璧で、私の望みそのものだった、だから怖かったのだ。私は私のこの弱さを誰にも知られたくなかった。己の率直な欲求を弱さと断じてもみ消すこと、それこそが弱さなのだと心のどこかで思っていたが、真実よりも正しさよりも、恐怖心が勝っていた。これ以上、拒絶されたくない。星野さんに拒絶されて辛い思いをするのは嫌だ。だから私は本心を言わない。結局は、そこなのだ。私は自分の愚かしさを嫌というほど知っている。
 だから星野さんにメールを書いた。「今までありがとうございました。とても楽しかったです。次回作でもよろしくお願いします。あ、『死せる大地に遺されしもの』専用ブログは今でも更新しています。これからも更新していくつもりです。お暇なときにご覧になってください」と、ただ嘘だけを書き連ねた。メアドは個人宛ではない。サークル『ブランジァン』のアドレスだ。ゲームマスター宛てのメールはサークル経由で受け付けている。GMが個人的に返事を出すことはない、と但し書きがついてはいるが。

 打ち上げオフでの一幕を、私は不意に思い出す。
 それはカラオケに向かうとき。星野GMと森野の会話が私の耳に流れ込んだ。前後の会話は聞いていない。ただ、森野の口調から、小説内で活躍したキャラクターの生みの親が実際のセッションにおいてどのようなロールプレイを行ったのか、その技巧や発想について尋ねていることは把握出来た。
「如月さんは、俺が『ブランジァン』に入る前、一般プレイヤーだった頃から第一線で活躍していた人でね。まさかそんなベテランが自分のところに来るとは思っていなかったから驚いたよ」
 星野さんのそんな言葉が、空っぽの胸から離れない。
 私だって。私だって、有名プレイヤーだったら。もしも私にこの世界での活躍実績があったなら、私のキャラを担当したことを誇りに思ってもらえたのだろうか。最終回のシナリオメイクだって、ああ流石アネモネさんだ、やっぱりベテランはやることが違う、よし、それではこの破滅的なシナリオを全面採用し、その上で大団円をぶちあげてやろうじゃないか、そんな風に肯定的に受け止めてもらえたのだろうか。
 悔しくて仕方がない。私は一睡も出来なかった。
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